6月28日 水曜日
さらばイラン
目を覚ますと、外は緑の山並み。昨日が遅かったので、二度寝をしてまどろんでいたところ、だるまのようなトルコ人の車掌さんのノックでたたき起こされました。プラスチックトレーに入った朝ご飯をもらったけれど、かなりイマイチ。このトルコ側の車両はトルコのものではなく、シリアから来たものなのかな、サービス、きれいさ、メンテなどかなりイマイチでした。
イランに較べて緑が多くなりました。 |
列車はずっと川沿いを走っていきました。多分、ティグリス川かユーフラテス川のどちらか。もしくは、その支流か。ここはメソポタミア文明を支えた2つの大河の上流地帯です。 |
ずっと川沿いなので景色は良かったですが、基本的にはこんなひなびた風景がひたすら続いていました。 |
良い天気だなあ。 |
世界の車窓からごっこなんかをして暇をつぶします。 |
「うわっ!やめれ、じゃまだ!」 「そっちこそ!」 |
この日ずっとおしゃべりの相手になってくれたのは、ルードベ氏。1人でシリアまで行くらしく、昨日からちょくちょく顔を合わせてました。やさしい人で、いろいろ気にかけてくれる事も多く、通訳を買って出てくれたり。この日はトルコ人の悪徳乗務員にランチボックスの中身をごまかされそうになったのですが、彼が「そういうことははっきり言わないといかん!」といって連中とファイトの末、コンビーフ缶とキュウリをゲット!頼れる兄貴って感じでした。
最初、結構なおじさんかと思いましたが、イラン人老けて見える説のご多分に漏れず、僕らと似たような年齢で、あれこれざっくばらんに話し仲良くさせてもらいました。ま、どっちにしたってイラン人は年齢の上下はさほど気にしないようなんですが。 |
ルードベ君はビジネスでシリアに行くとか。ちょっとした貿易商を営んでいるようです。昔は通訳として活躍していた時期もあるようで、英語はかなり上手だったのですが、それでも通訳として生計を立てていくのは厳しかったようです。「自分はアラビア語もほんの少しはできるけれど、イスタンブールに行ったら色んな言葉をしゃべれる連中が大勢いて3カ国語、4カ国語は当たり前。イラン人にとって英語は勉強して習得するものなんだけれど、あそこらへんには生まれ育った環境で何カ国語もしゃべれる人々が沢山いるからね。」とのこと。それって日本人と同じ悩みだなあ、ということで激しく共感。トルコ人がそこまで語学に長けているというのは聞いた事はないですが、トルコの周りでは色んな民族が入り乱れていて言葉をいくつも操れる人々がゴロゴロいそうです。
他にもいろいろな事をしゃべりました。イスラムについて話していた時は、「確かにイラン人の大半は敬虔なイスラム教徒。でも、他の宗教を信じる自由だってあるべきだし、女性のスカーフだって強制するのではなく、1人1人が選択できるという意志決定の自由はないといけないよね。」なんて言っていました。スカーフについては、「ただ、スカーフをするのは賛成。自分はプレイボーイだけど、スカーフをしている女性には下手な事できないと思うし、イランではスカーフが女性を守ってくれている気がする。」という事も言っていましたが。アフマディネジャド現大統領がホロコーストを否定したとかで物議を醸していることについてなんかも話題に上りましたが、これについても彼の立場はとても客観的で、「ホロコーストの犠牲者数なんていうものはいろいろな政治的立場からいろいろな推計が出され誇張が入るものだし、1つの立場を鵜呑みにはできないし、そもそもホロコーストをめぐる議論というものは常に政治的意図に振り回されているんだ」「アフマディネジャド大統領はポピュリスト的なところがあるからちょっと極端な物言いをしてしまうのは確かに問題だが、ホロコーストの悲惨さを事実以上に誇張しようとする政治勢力だって同じレベルだろう?」みたいな事を言っていました。彼が言っているのはとてもまともな事で、僕も南京大虐殺をめぐる議論なんかを思い浮かべながら耳を傾けていましたが、印象深かったのは、現体制に特段与することなくフェアなものの見方で考え話ができる人がイランにこんなに普通にいるんだな、ってことですね。日本や欧米においてさえも、「過去の悲惨な出来事 → 少しでも批判的な考察は非人間的」のような単純な図式で思考停止している考え方は散見されるのに。
列車は時折途中駅に停車します。降りる人も乗る人もそれほどいませんが、外の空気を吸いにホームに降りる乗客は沢山います。 |
僕らも何気なく外の空気を吸いに下車。今まで特段、意識していなかったけれど、こうやって停車時にホームに降りるたびに、この列車の乗客達と何度となく顔を合わせて顔見知りになっていくわけですね。 |
この、トランスアジアエクスプレスでの2泊3日の旅路は充実のイラン旅行のフィナーレとして想像以上に思い出深いものになりました。列車も古ければ、設備・サービスも先進国クラスとは言い難いでしょう。もちろん、イラン側の列車の乗務員さんたちの素朴なサービスなど良いところもありましたが、トルコ側の列車はひどかったし、夜更けにフェリーで乗り換えさせられるし、国際列車といっても優雅な旅とはほど遠いものでした。しかし、こんなに旅情を楽しめる列車の旅が今まであったでしょうか?
3カ国にまたがる国際列車で、いろんな国々の人々が乗っているなあ、というのが最初の印象でしたが、みんなこの周辺国の人々ばかりである意味ローカル。我々以外、欧米や東アジアの人間もいなければ、観光で乗っている人間もいない。なんせ外国人旅行客で「テヘラン発ダマスカス行き」なんて使う人はそうはいないでしょう。そういうわけで彼らからすると我々こそすごく珍しい別世界からの訪問客だったんですね。そのおかげで、みんなに暖かく受け入れてもらう事ができとても楽しい旅路になりました。(*)
それから今はやりの言葉で言えば、スローライフってやつでしょうか。スピードも出ないし、乗り換えたり故障したりで、とにかく時間がかかります。しかしこれも開き直ってしまえば、すごく贅沢な時間の使い方といえるんじゃないでしょうか。時間を忘れて風景を楽しみ、のんびり思いを巡らせる。そして、偶然乗り合わせた乗客たちとゆったりとした旅路を共にする。一生懸命になって人と交流する必要など全くないし、そんな人もいません。言葉もできたら良いか、くらいの大らかな気持ちで、気が向いた時に気が向くようにみんなと人生の一瞬を分かち合う。ここらの人はみんなそういう時間の流れの中に生きている気がします。だから、それに身を任せて気楽にしていればいい。一日も経てばほとんどの人は何となく顔見知りになっています。実質1日半の旅路で、忘れ得ぬ知り合いが何人もできました。列車を降りる時の別れのなんと切なかった事か。
先進国でもゆったりとした時間の使い方が再評価される中、たっぷり時間をかけて優雅に旅する超豪華列車が世界的に人気を博しています。もちろん、それも良いな、いつか機会があったら、と思います。でも、今回のようにその異国の普通の人々と一緒に時を過ごせるB級の旅路も負けず劣らず貴重で素晴らしい体験ではないでしょうか。皮肉な事に、A級の優雅でリッチな列車の旅は多くの国で楽しめるようになってきていますが、こんな楽しいB級の旅というのはなかなか体験できないものになりつつある気がします。
トランスアジアエクスプレスでのB級だけど贅沢な時間の過ごし方。オススメです。
(*) イスタンブール行きの列車については、賑やかで楽しい旅になったというような体験談がLonely Planet に書いてありました。イスタンブール行きの方がシリア行きに較べ外国人観光客が乗っている可能性が高いので、また少し雰囲気が違うかもしれません。
午後もお昼をまわって大分経ちました。アラブ人の宝石商のおじさんがとっておきの宝石を腹巻きから出して見せてくれたので、それをルードベ君たちと見ながらあれやこれや言っていると、乗務員さんがそろそろ僕らの降りる駅、マラトゥヤに到着するぞ、と教えてくれました。ついあわてて準備をしようとしてしまうのはもう癖のようなものですが、停車時間はたっぷりあるのでそんな必要はありません。
さあ到着です。あまり見ない色の駅だなあ。この土地名産のアンズの色なのかな。 |
大分大きい駅ですね。 列車からホームにはもう何回も、停車する度に降り立っていますが、最後だと思うと感慨深い。40時間近く乗っていましたが、長かったようなあっという間だったような。 |
顔見知りの乗客の家族もここで降りていきました。この男の子も身振り手振りでトイレの場所と使いかとを教えてくれたりして、やたら人なつっこかったんだよな。バイバイ、元気でな。 |
ルードベ君が見送りに来てくれました。ここでお別れです。 |
ここからは完全にトルコ旅行。僕らのイラン旅行記もここをもって終着駅ということにしましょう。
旅行を終えて
旅をすることの魅力。それは、いかに我々の普段の生活と異なる「非日常」に浸らせてくれるかだと思う。それはどこでもドアの魅力であり、タイムマシンの魅力でもある。慣れ親しんだ家を離れ、未知の異空間に迷い込む興奮。加えてその旅路が、ただその時の一過性のものではなく、それを通して我々の日常に対する新鮮な視座を与えてくれるならなお良い。人生の糧になる旅。
はるばるやってきた旅先の国と自分の母国との間に思いもしなかった共通点を見いだす時、地球の大きさと小ささを同時に実感させられる。その国の波瀾万丈の歴史は、人間がどうやって現代に至りどこへいこうとしているのか、一歩引いた視点を与えてくれる。我々の日常生活ではとうの昔に失われてしまったような暖かいホスピタリティ、ゆったりした時間の流れ方、そして昔ながらの風景は、我々の悠久の記憶の片隅にそっと語りかけてくる。
イランは飾らぬ顔でそういう旅の醍醐味を味わわせてくれる、そういう国だった。
超一流の大自然や遺跡があるわけでもない。ナイアガラもなければ、ピラミッドもない。砂漠やペルセポリスはあるけれど、乱暴に言えば類似のものは他の国にもある。しかし、それは妥当な比較ではないのではないかと思う。多くの国では国内各地にある観光スポットに訪問して初めて旅が成立するのに対し、イランの場合、空港から国内に入った途端、そこは一流の観光スポットであるような気がするからだ。国全体が歴史の生き証人、進化の袋小路であるシーラカンスのようなもので、イランという国自体がどこでもドアやタイムマシンの目的地。イラン国内でどこへいって何をするかは二次的な問題でしかない、といっては言いすぎであろうか。
反米を追求した結果、グローバル化が進む我々の現代社会とはどこか別の地歩を占める国。現代の世界経済に今ひとつ組み入れられていないが、人類の歴史には大きく組み込まれている国。アジアやヨーロッパの文化の源流の交差点。今なお一流の文化と波乱の歴史。街を歩けば歴史の香りと独特の洗練がある。ノスタルジックな列車の旅路や夕暮れの街並みは我々の世界では急速に失われつつあるもの。贅沢な時間の流れと心の豊かさ。かといって、決して停滞しているわけではない。ブロードバンドインターネットもあれば最新式の地下鉄もある。宗教について議論し自由を希求する人々は我々と同じ時代を生きている。ただ、パラレルワールドの向こう側で。
そんな鏡の国にあるかのようなその国の実態は我々にはほとんど知らされていない。我々が見聞きするのは一面的な情報ばかり。確かにイラン革命とアメリカ大使館占拠事件で欧米を震撼させた恐ろしい国ではあるが、「イスラム復古主義」へのネガティブキャンペーンという西側世界の潮流に報道が染まっているのも事実だろう。しかしそもそも、ある「国のイメージ」というのがその社会や人々に対してそのまま敷衍されるということは滅多にないのだ。テヘラーンの空港に第一歩を踏みおろしてからトルコで国際列車を降りるまでの8日間は、すべて自分の中でのイランのイメージを再構築するプロセスだったように思う。無機的で政治的なイメージから、人間的で懐かしいイメージへと。
これからイランという国はどこへ向かっていくのか?20年、50年後に旅行して今回と同じような魅力を感じる事はやはり難しいのだろうか?国を取り巻く国際政治の状況はなかなか厳しいように見える。反米をこのまま貫いても、グローバル化の世界的潮流に抗う事は難しいだろう。人々は物質的豊かさを求め、より自由で民主的な社会を求めていく、それも必然に思える。そうすると、今回我々が味わったような旅情は次第にイランから失われていくのかもしれない。服装規定もゆるみ、量販チェーン店が登場する日も来るかもしれない。でも、最悪、それもある程度は仕方ないことだろうと思う。ただ、イランが国際政治とグローバリゼーションの中での舵取りを誤らずに成熟していって欲しい、そしてもう一つ欲をいえば、適度にグローバル化に距離を取りつつ、何十年か後に訪問する旅人たちにもどこかありきたりでない新鮮な雰囲気があちこちで感じられるような、そんな独特で魅力的な国であり続けていって欲しいと思う。現在、世界を席巻しつつある欧米流の政治経済システムが人類の歩むべき道として正しいのかどうかなど、今の誰にも答えられないのだから。今後もイランで出会った人々の顔を思い浮かべつつ、イラン社会の歩む道をパラレルワールドのこちらから興味深く見守っていこうと思う。