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6月27日 火曜日

今日のトピック: イランの人々

イランの人々との素朴なふれあいはイラン旅行の醍醐味の一つだと思います。でも自分がこれを言えるのは、実際にイランを体験してきたからですね。日本での文脈で「イラン人とのハートフルな交流」と言われても、普通はドン引き?!僕だってイランに行く前はとてもそんなイメージではありませんでした。

ここでは自分がイラン人と接してみて気づいたことなどをまとめてみたいと思います。もちろん、イラン人といってもいろいろな人がいるし、イラン人というのはいい人達だとか魅力的だとか主張するつもりは毛頭ありません。○×人はいい人ばかりだ、という思想って、○×人はろくでもないやつらばかりだ、というのと同じくらい気持ちの悪いものだし。そもそも、イラン人の大きなイメージを描写すること自体、一介の旅行者には手に余ること。若干のバイアスはありえるでしょう。それでも、少ないサンプル数の中でもいろいろな驚きがあったので、読んでい頂いている皆さんにも、自分の「イラン人」というイメージとのギャップを発見して楽しんでもらえたらと思って書いてみます。

自分が持ってた固定観念その1:イランといえばあの強権国家 → イラン人って、思想統制されていて頑迷で保守的って感じ?

宗教はもちろん結婚から核問題に至るまで、下手なことは言えないよなあ、と緊張しながらイランへ旅立ったのを今でも鮮明に覚えています。そんな自分たちが初日に、無神論者の大学院生、ムスタファ君と親しくさせてもらって、「無神論者のイラン人は自分以外にもすごく大勢いるよ」「アルコールだって表では禁止だけど、裏ではみんな(以下略)」なんて話を沢山聞いてショックを受けたのは良いイニシエーションでした。

その後、いろいろな人に会いました。黒ずくめのおばさんも沢山いましたが、スカーフ着用や体の線を出さないなどのルールに抵触するんじゃないか、っていうくらいのファッションをしたおしゃれに敏感そうな若い女の子達、活き活きと英語で接客してくれる旅行会社の女性達。現政権を擁護する人もいれば、冷めた目で見ている人、あつく批判をする人、etc。列車の中で知り合った若いビジネスマンは「スカーフどうこうは個人に選択肢を与え個人に判断をさせるべきなんだ」と熱心に語っていたし、船で一緒だったおばあちゃん家族も敬虔なイスラムではありつつ、他の宗教が存在することは当然のこととして認め、我々がムスリムでないと言っても、快く相手をしてくれました。アメリカについて「アメリカは傲慢でイランを隷属させようとしているひどい国だ」と主張するビジネスマンのおじちゃん達もいれば、「アメリカはいろいろ問題もあるが世界でもトップの国で、社会経済や文化に素晴らしいところが沢山ある憧れの国だ」と語る若い兵士もいました。(*)

基本的に一番驚いたのはみんな最近の世界情勢のこととか歴史や政治経済のこととかをよく知っているってことです。確かに、仏教や日本、アメリカに対して知識やイメージの皮相さは感じましたが、我々日本人がみんなイスラムやイランのことをどれだけ知っているかというのを考えれば、イランの人々が正しい現実を知らないなどとはとても思えないです。情報統制の効果というのも自分にはまったく見えませんでした。インターネットの利用もとても進んでいて、そこから世界の最新ニュースを熱心に取り入れているようですね。それにイランは知る人ぞ知るブログ大国だったりもします。

そんな感じで、もちろん保守的なタイプ、進歩的なタイプ、いろいろなイラン人に会いましたが、どの人も皆、彼らなりに外側の世界について関心を持ち情報収集をしていて、現代社会の中にちゃんと組み込まれているし、現政権によるうるさいルールなどは適度な距離感を持って裏表を使い分け、自然体で個人の自由を希求しているごく普通の人々なんだなあ、と思いました。20年前からイランがそうだったか、とか僕には分かりませんが、少なくとも今回のイラン旅行では、一般庶民と接している限り健全で自然な社会という印象を持ちました。

(*) 後日記:実際にどこまで自由にものが言えるか、服装規定なんかがどこまで厳格に規定されるか、ということについては政情によって揺れ動いているようで、締め付け・摘発が厳しくなったであるとか、保守派がどういう主張をしたであるとかというニュースを最近目にすることがありました。人々のメンタリティについてはそうそう簡単には変わらないと思いますが、旅行者が受ける印象はその時々の情勢で多少違いが出てくる事もありえそうです。

固定観念2:イラン人って、厳格なイスラム教信徒じゃないの?恐くない?

イスラム教シーア派なんて言われると、中東情勢のニュースで頻繁に報じられている宗派間対立なんかが想起されちょっと構えてしまうかもしれません。自分も旅行前は、「きっと宗教についてきかれるんだろうな」「もしきかれたらどういう風に答えようかなあ」なんて不安になったりしました。

しかし、行ってみてわかったのは、みんな自分なりに自然体で宗教を実践しているんだなあ、ということ。この意味では日本やアメリカなどと大差ないんじゃないかと思います。

今まで書いてきたように、街中を歩いていても、僕ら、非ムスリムに対してもみんなとても友好的。イスラムは一神教、かつ偶像崇拝を禁じているはずなのですが、それにもかかわらずペルシャのお姫様からシーア派の聖人、ホメイニ氏まで、いろいろ担ぎ出して祭壇にまつったりして敬愛しています。

モスクに行けば中には近寄りがたい雰囲気で熱心に礼拝をしている人もいますが、大半は日常生活の一部として気楽にモスクに集まってきてみんなで絨毯の上にあぐらをかいておしゃべりしていたり、暑い昼下がりをモスクで昼寝して過ごしたり。そしてモスクには滅多に行かないよ、なんていう人も多数いるようです。

そんな感じで、宗教心の篤い人もうすい人もいるし、宗教の実践もほとんどの人は細かいことは気にせず自分たちのスタイルでやりやすいように実践している。この大らかさの理由の1つとしては、ペルシャという国がイスラムで興された国ではなく、イスラム以前に長い歴史がある国だからかもしれません。イスラムはアラブというペルシャにとって異質な文化圏からやってきた新興宗教にすぎないわけですね。だから、元々あった文化やメンタリティーの土壌の上にこの国なりのイスラム教の実践が形成されてきたんでしょう。ちょうど、日本に入ってきた仏教がその本来的な教えにはそれほどこだわらず、現世利益とか祖先崇拝とかいう日本人のスタイルに合った形で咀嚼されてきたように。イスラム原理主義とかいうものは大多数のイラン人とは無縁の話のようです。

そんなわけで、宗教に関しては僕の中でイラン旅行の前と後で認識が180度変わってしまった感があります。

初日テヘラーンを案内してくれたムスタファ君。いきなりとってもリベラルな人でショックを受けました。

固定観念3:そもそも、日本人と違いすぎて打ち解けあうのは難しいんじゃない?

思想統制などはなく、宗教的にも凝り固まっていない、となると大分付き合いやすそうな気がしますが実際のところどうでしょう?結論から言えば、我々はイラン人に関してすごく良い印象でイラン旅行を終えることができました。

まず、あげるべきはイランの人々のフレンドリーさでしょう。非常に人なつっこく積極的に話しかけてきます。外国人に対する物珍しさ、奇異の視線、というのはコーカサスに行ったときも同じように感じたものですが、あのときはまるで異星人でも見るかのような気持ち悪い視線だったのですが、イランでは好奇心と暖かさがこもった視線という印象でした。多くの人は英語が流暢であろうと無かろうと(時にはペルシャ語で!)、すごく気楽に話しかけてきます。シャイなおじさんとかでも、目が合うとニコッとしてくれたりすることも多々ありました。一人旅や女性だけの旅とかだったらまた随分違うのかもしれませんが、ともかく、ガイドブックには侮蔑的な言葉をかけられることもあるようなことが書いてありましたが、そんなことは実際には1回もありませんでした。ちょっとからかわれるような言い方をされたりしたことが1,2回あったかな、という程度です。

彼らのフレンドリーさの背景として1つ、日本についてのイメージの良さはありそうです。同じアジアの文明国であるというだけでなく、日本に出稼ぎに行ったことのあるイラン人がかなり多く、彼らを通して情報が入り親近感を持っているというのもありそうです。「日本には大分前によく行ったよ、今でも仲の良いビジネスパートナーがいるんだぜ」なんて言う風に喜々として話しかけてくるイラン人のおじさんにも会いました。日本という国がイラン人をどの程度暖かく受けれいているのか、そこら辺は僕はよく知らないので、日本に行っていやな思いをした人はいないのかなあ、なんて思ってしまいますが、今回はそういう事を言う人には1人も出会いませんでした。

さて、親しげに話しかけてきてくれることは基本的には良いこととはいえ、一方的に気が済むまでしゃべりまくられてこちらは辟易させられる、という印象を抱いてしまう国は結構あるかもしれません。僕も基本的には内向的で、誰とでも気楽に話しまくるというタイプではないので結構気を使って疲れてしまうことも多いのですが、イランの人々の場合、おしゃべり好きと言っても礼儀正しく謙虚な感じがあり、かつ頻繁にこっちに気を使ってくれることが多く、心地よく会話を楽しめることが多かったです。他者に対する関心・好奇心と、他者を尊重して大事にし適度な距離を取る、という2つの特徴と、我々への好意・好印象が相まった結果、とても気持ちよく過ごせたように思います。親しげにぺらぺらしゃべりつつも、こっちに色んな質問を投げかけてきて、こっちが言おうとすることに耳を傾けてくれて理解しようと努めてくれる、そんな人々がとても多かったです。

列車で一緒になったふとっちょビジネスマン2人組。ホスピタリティならまかせろ。写真を撮ってもらうのが大好き。
アラブのおじちゃんは良い人だったけれどちょっと違うメンタリティか。
フェリーでご一緒したおばあちゃん。「テヘラーンに来たら是非、私のおうちに遊びに来てちょうだいね。」なんて言われてとても嬉しかったな。

とまあこんな感じでイランの人々の良い面ばかりフォーカスしてしまった気がしますが、彼らのメンタリティとは別に旅行の条件の良さは書いておくのがフェアでしょう。まず、親日的だというのは今書いたとおりですが、それから観光地ずれしていない、というのも大きいと思います。まだまだ物珍しい外国からのお客さん、ってことですね。イランの後、トルコへも行ったのですが、観光客のあまり来ないトルコ東部はイランに勝るとも劣らずみんな親切でした。それがカッパドキア、イスタンブールと西の方のよりツーリスティックなエリアに行くにつれ、しつこい物売りが多くなり、通りがかりの人に信じられないような嫌がらせもされたし、フレンドリーなんだけれどぶしつけに一方的に話し続ける人に疲れさせられたりで、人々のぬくもりと言う点ではなかなか楽しむことができませんでした。観光客の数は我々が抱く現地の人々の印象を大きく左右します。

それから、メンタリティについても実際はそんな単純なものではなくもっと多様な側面が当然あるでしょう。上に当てはまらない多様な人がいるのはもちろんですが、全般としても良い面あれば悪い面有りで、男女や結婚に関しては依然としてかなり保守的と言えるでしょうし、アーリア人ペルシャ人としての歴史と伝統へのプライドはかなりのものがあります。アラブと一緒くたにされれば怒ります。また、礼儀正しく気を使い適度な距離を取るというのは、すべて率直にオープンに話しあうというのとは相容れないところがありますよね。列車で一緒になったシリア人の女の子は「イラン人はなかなか打ち解けて仲良くなれないのよね、受け入れてくれない感じ」なんて言っていました。保守的な人たちというのは、愛想が良くて親切でも、そういう面があるのかもしれません、ちょうど日本における京都人のイメージのように。まあ、僕なんかが接した多くのイラン人はすごく実直でオープンだった気がしましたが。

しかし、あれ、こうやってあれこれ列挙してみるとどれも日本人のメンタリティとかなり通じるものがある気がしてきますね。意外とかなり似たようなところがあるのかも?!

以上、長々書いてしまいましたが、ともかく悪の枢軸と言われる国のイメージ、イラン・イスラム革命をやった国のイメージ、なんていうのは西側メディアで宣伝される政治的なもの。イランを旅行して街角で出会う人々の印象とは大分違う次元の話なんだな、というのが分かって頂けたのではないでしょうか?

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