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6月27日 火曜日
イラン旅行 最終日 トランスアジアエクスプレス
| 規則的な車輪のリズムにふと目を覚ますと、外は夜が明けたところでした。 |
ここはどこだろう。車窓を眺めたいという気持ちが二度寝の欲求に打ち勝ちます。ぎしぎしと二段ベッドを降り窓辺へ。
まだほの暗さの残る朝日の中に幻想的な風景が広がっていました。人影も家屋もとてもまばらで、広大な草原が広がっています。寂しげな美しさでした。
テヘラーンからもう大分、北に来たんだな、と実感させられます。 | |
| 時折、通過する集落はまだまどろんでいるかのよう。 |
規則的な車輪のリズムに揺られ、しばし車窓をぼーっと眺めていました。 |
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さて、この列車はトランスアジアエクスプレスというもので、テヘランから北西へ向かいトルコに入る国際列車です。テヘラン発が週2便あって、1つはトルコの首都、イスタンブール行き。もう一つは、この我々の乗っているものですが、トルコ中部から南下、シリアのダマスカスまで行く列車です。
我々は帰りがイスタンブールアウトなのでイスタンブール行きが簡単で良いかなと思ったのですが、運悪くその週1本が日程的に合わず。じゃあちょうど良い日にあるダマスカス行きにのってトルコの行けるところまで行って途中下車しよう、ということになりました。トルコ旅行も楽しめるし。欲をいえばシリアも行ってみたかったのですが、ややこしくなりすぎるので断念。
洗顔ついでに列車内を偵察。列車は設備的には決して新しいとは言えませんが、こぎれいにしてあって快適です。食堂車も朝からこんな風に素敵な雰囲気になっていました。
乗務員さんたちはここのはしっこにたまっていて、雑談したり仕事したりしていました。 | |
| うおっ!これはもしや、イランの原子力発電所?!そんなもの写真に撮って良いのかよ、という声も聞こえそうですが、そのどでかい建造物に思わずシャッターを連射。
立地的にはいかにも、という気もしましたが、少し古そうだな。稼働していない感じもしました。詳しいことはわかりませんが、なんか隠されていたりするんだろうか、なんて思ってエキサイト。 |
この幻想的な感じは、人の気配の無さが大きいんでしょう。 |
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日が少し高くなってくると、あちこちでこういうヤギの放牧が見られました。 |
| こっちにも。きっと昔と変わらない風景なんだろうなあ。 |
左手に湖が見えてきました。とてもきれいです。 | |
| 線路が湖畔にさしかかったので車窓に食いついてみていたのですが、うーん、水はどこだ??
カスピ海などと同様、水位の低下が深刻なようです。遠くから見えたきれいな白い岸辺はこの部分だったんだな。 |
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地図とにらめっこし、湖の大きさや形から判断してこれはオルーミーイェ湖だと断定(左の地図、左上)。もうすぐタブリーズに着きそうです。 |
そうこうしていると朝ご飯だと言うことで食堂車に呼ばれました。
| いつ来てもここでくっちゃべっている乗務員たち。
イランのサービスは全般的にこういう感じのところがあって、お客を丁寧に扱うとかへりくだるとか、ってことはありませんでした。ただ、そうかといって扱いがぞんざいだとか態度が横柄だ、ってこともなく、頼めば割となんでもできる範囲内でいろいろやってくれることが多いし、質も悪くはありません。アメリカのような上っ面の営業笑顔でもなく、かといってヨーロッパによくあるようなやる気の無さというのでもなく、自然体な心地よさと適度な距離感が自分的にはわりと好みです。 |
上の写真左のお兄さんも、数少ない英語を操れる乗務員ということでとてもお世話になったのですが、とことん無愛想でぶっきらぼう。最初は「うちら、なんか悪いことでもしたのかな」なんて思っていましたが、要所要所で停車時間とかビザのこととか大事なことをきちんと教えてくれたり、最後もいろいろ説明してくれたりして、振り返ってみれば申し分ないサービスでした。感謝。
列車の朝ご飯なのでミニマムな感じですが、こういうのはもう慣れたもの。おいしく頂けます。 | |
| タブリーズ駅に到着、しばらく停車。ほんの少し降りてみて写真を撮ったりしましたが、北西部の中核都市にしては大分ひなびた印象。 |
また同じような景色をゆったり走っていきます。
これは綿花栽培かな? | |
| 2時間半ほど走って列車はSalmasという国境の町に到着です。ここではパスポートコントロールがあり出国手続きをします。 |
車両はこんな感じ。昔ながらの鉄道旅行の雰囲気が漂っていてグッドです。 | |
| 出国手続きですが、要領がよく分からないので、金魚の糞のように一番後ろからみんなに着いていきます。 |
パスポートを集められた後も、通関だ、両替だとあっちこっちに行列ができていました。 | |
停車時間はたっぷりあります。ちょっと時間をもてあましたので、町の様子でも見てみるかと駅を一歩出てみると、、、
| うーん、見事に何もないぞ。 |
全員改札口の脇に集められ、パスポートが返却されます。気分は修学旅行。 | |
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出発時間までの〜んびり。この頃になると、しゃべったことのある連中も増えてきて、みんな何となく顔見知りになってきます。 |
都合1時間以上停車してました。もうお昼時です。列車に乗って何もしてなくたって、腹は減る。食堂車へGO!
食堂車の車窓。質素な車両でも心の豊かさは感じます。 | |
| 国際列車の食堂車のご飯といっても豪華な食事はありません。でもなんで食堂車のご飯ってこんなに楽しいんだろ。 |
そして、意外なことに、とても美味しかったです。素朴なんですがちゃんと調理してある感じ。 | |
昔中国に行った時も食堂車のぶっかけメシがメチャクチャうまかったのを思い出しました。下手な合理化とかが進んでいないので、定食屋とかでちゃんと作っているようなクオリティで出てくる感じです(自分が行ったのは10年以上昔なので今の中国がどうなのか、わかりませんが)。もう少し産業化が進むと大量生産でコストを切りつめたひどいものが出てきたり、あるいはすごい値段の贅沢なサービスとの二分化が進んだりするわけですね。市場経済化が進み、食堂車のような「隔離された市場」で金儲けを追求するとどうしてもそうなります。食堂車で質素でも美味しいものを安価で食べられるというのは今となっては贅沢なんだなあ、としみじみ実感。日本には世界に誇れる駅弁というものがあるのでそこまで気になりませんけどね。(*)
(*) 駅弁の効果を経済学的に解説すると、食堂車や車内販売のような「非競争的市場」に対し、駅弁という「外部市場」が消費者の選択の幅を増やす事で競争が生じ、食堂車や車内販売もクオリティが上がり値段も下がる。ただし、食堂車が競争の結果淘汰されて無くなる事もあり得るが。
閑話休題。列車は高度を上げ山地に入っていきます。車窓を見にコンパートメントから出てくる乗客も多く、国境越えを数時間後に控え、このあたりから車内にはちょっとした高揚感が満ちてきます。ちょっとしたことで他の乗客たちとおしゃべりすることもしばしば。そうこうしていると、イラン人のふとっちょ2人組に親しげに話しかけられ、そのままノリで彼らの個室に招かれてしまいました。
| 陽気で気さくでお客好き。礼儀正しく、いつもにこにこ笑ってました。
ビジネスでトルコ側に行くんだとか。 |
彼らも英語は片言レベルなのでコミュニケーションはたどたどしいですが、好奇心旺盛でいろいろなことを質問してきました。どこから来たのか、家族はどんなか、働いているのか、などなど。
デジカメにも興味津々。写真を撮ってあげたらとても満足そうにしていました。 | |
| 2人が「この後の景色がすごく良いんだ」としきりに進めてくれたので車窓を見にいくと、線路は険しい山地を縫うように走っていました。うーん、確かに絶景なり。 |
鉄橋から見下ろす。すごい高さだ。 | |
| 2人のイラン人ビジネスマンと同室だった若いイラン人兵士とも仲良くなりました。兵役期間中の彼は任務で国境手前の駐屯地へ向かうところだとか。なかなかのハンサムガイで、英語もバッチリ。彼が通訳してくれたのでいろんな乗客とおしゃべりが弾みました。 |
アメリカやブッシュ政権についてはどう思う?なんて話もしました。ビジネスマン2人組は口をそろえて「あれは傲慢でひどい国だ、イランを良いように隷属させようとしている。我々は言いなりにはならないぞ。」なんて感じで、とっても反米的。その一方、ソルジャー氏はそれを通訳してくれた後、「I
love America.」と切り出し、「自分はアメリカには憧れるよ」という思いを語ってくれました。アメリカの現政権はともかくも、「アメリカには世界に誇れる文化や経済そして自由がある。見習うべきところの多い偉大な国の1つだよ」という主張。こういう見方の背後にはインターネットの存在が大きいようで、「ロック音楽は本来禁止されているんだけれど、普通にダウンロードして聞いていたよ」とか「当局の監視をくぐり抜けてインターネットからいろいろな情報を得るのは若者達の間では一般的だよ」なんてことも話してくれました。「アメリカの大学院はどうだい?兵役が終わったら自分の専門であるエンジニアリングでアメリカへ行き、そこでもっと勉強したり働いたりできたら、どんなに良いかと思って、いろいろ考えているんだ。でもすごく難しそうだけれどね。」ということも言っていました。
一言にイラン人のアメリカへのイメージといってもこんなに人それぞれです。まあ、ある年齢以上の世代が反米的というのは僕の中ではわりと自然で、イラン革命でのおびただしい犠牲、CIAやモサドの暗躍、イラクのフセイン政権へのアメリカの援助、という過去があってさらに直近の経済制裁まであるのですから、「テロ国家はどっちだ、アメリカこそ悪の化身ではないか」、という見方だって自然に成り立ちえます。だから逆に、このソルジャー氏のように一歩引いて西側世界を眺められる若い世代の人々がごく普通にいる、というのはなかなか新鮮に思えました。
それにしてもこのソルジャー氏は英語も上手で性格も進歩的な感じのナイスガイでして、話によると勉強もかなり優秀だったようですが、多くのイラン人にとって欧米への留学などかなわぬ夢...シカゴに留学させてもらっている恵まれた自分の境遇を思うと、自分も頑張らないと申し訳ないな、という気持ちにさせられます。
山の天気は変わりやすい。ふと気がつくと、空は真っ暗。あっという間に大雨に。 | |
| 川は洪水のような泥流であふれかえっていました。 |
そうこうしているうちに列車は国境地帯へ。兵士専用でしょうか、時刻表にも乗っていないような小さな駅に一端停車。
| 仲良くなったソルジャー氏も気持ちの良い挨拶をしてここで降りていきました。う〜ん、とことんナイスガイだ。夢や人生についてもざっくばらんに話してくれ、短時間でとても仲良くなれたので、最後は名残惜しかったです。 |
兵士達をおろした列車は国境へ向けて出発。国境通過にあたり列車は徐行。ついにイランの国境を抜けるんだな。感慨よりも緊張感でドキドキしながら車窓を眺めていたのですが...
そこにはにこやかに列車に手を振っているイラン兵士達が。穏やかでのんびりしたムードに拍子抜けです。カメラを向けるとスマイルをサービスしてくれました。 | |
そんな感じなので大っぴらに記念写真を撮りまくってしまいました。周りにも写真を撮っている乗客たちがいたので全然、平気って感じです。
| トルコは今回が初めてですが、イランとは全然違う国というイメージがあります。
さらば、イラン。 |
列車の中はどことなく祝賀ムード。みんな嬉しそうです。「国境を通過したらみんなで一斉にスカーフを取るのよ!」なんて嬉しそうにマイクに話しかけてきたおばさんもいました。それはもちろん冗談半分で実際にそうするイラン人女性はあんまりいないんだとは思いますが、そういう風な冗談を言える人々なんですね。
左はシリアからイランに留学中の女の子。嬉しそうに写真を撮ってました。 | |
| 山にもトルコの国旗と国名が刻まれています。 |
列車は少し走ってトルコ側の国境駅に到着。今まで目にしなかった赤い家々が別の国に来たんだという実感を引き立てます。 | |
| イランとトルコは良い関係を保持しているんでしょうか。 |
この駅にまた長時間停車、今度は入国手続きです。日本人はトルコに短期で旅行に行く分にはビザは不要なのですが、我々以外のみんなはビザが必要です。日本人である、というだけで優遇されるってのは不思議なことです。 | |
| イランのお金が使えるのはここで最後。みんな行列を作って両替したり買い物をしたりしていました。 |
待ち時間はたっぷりあるので、みんなあちこちで談笑しています。アラブ系の人々も多少いるんだな。取引でイランに行ってきたんでしょうか。
なんて思っていたら、突然、サングラスをしたアラブ人のおじさんにすごい剣幕で呼ばれました。「え、俺?一体、何の用?」 | |
| びくびくしながら近づくと厳しい表情で「ちょっと手を見せろ」。何だろう、なんかされるのかな。いちゃもんか?呪術か?周りは一同、何事かと固唾を飲んで見守っています。すごい剣幕なのでびびってたんですが、なにやら金属製の数珠のようなものを指に巻き付けてきて指を押さえつけられたかと思ったら、「ワン・トゥー・スリー!!」、スルッと見事に数珠が外れて、一同、大歓声。ああ、手品を見せてくれたのか。ここで、おじちゃん、初めて表情を崩しニンマリ。
なんだよ〜、やめてくれよ〜、ドキドキしちゃったじゃないか〜。 |
この人を食ったようなユーモア、中々の腕前でしたがこういうノリは今までのイラン人達には全然、無かったぞ。これってアラブって感じなんでしょうか。 | |
| このおじちゃん、これで調子づいたのか、他にもいろいろな技を披露して場を盛り上げていました。 |
3カ国にまたがる国際列車で色んなバックグラウンドの乗客がいましたが、長い旅路をみんなでこんな風に和気藹々と一緒に楽しむようなノリ、すごく心地良かったです。 |
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はまってしまった麦ジュースをおみやげに買い込みました。テヘランではもっといろいろな種類があったのですが、ここでは種類があまり無く残念。重いのによく買うよと我ながらあきれる。 | |
| ふと空を見ると虹が架かっていました。久しぶりに見る見事な虹。乗客たちも、虹だ、虹だとはしゃいでいました。 |
しかもよく見ると二本かかっている!!こんなのは生まれて初めてです。
あの虹の袂はイランなんだよな。もうはるか後方に見えなくなったイランがもう一度、挨拶に現れてくれたような気がして、しばし見とれていました。 | |
大分のんびり停車した後、ようやく出発です。外は大分暗くなってきてしまってもう車窓を楽しむという感じではなくなっていたので、みんなおしゃべりに夢中になっていました。
最後の最後まで親切に気を使ってくれ続けていたふとっちょビジネスマン2人組ですが、途中の駅でお別れです。降りる寸前まで「今度またイランに来ることがあったら是非自分のところに遊びに来てくれよ!」とか「この後、何時頃、どこそこにつくからそこでちゃんと乗り換えるんだぞ。気をつけて良い旅をな」とか言ってました。ばかでっかい手で何回も握手されちゃいました。(^^
いい歳したビジネスマンがどう見ても青二才の我々に対して決して見下すことも子供扱いすることもなく、気持ちよく過ごせるように気を使ってくれた。友人として一緒の時間を存分に楽しんで、笑顔で帰っていった。こういうカルチャーってどこにでもあるものじゃないですよね。我々が日本人だというのもあるんでしょうか。僕は旅行好きでいろいろなところへ行きましたが、他にこんな国あったかな。見返り無しに丁寧によくしてもらった、っていう意味では中国と韓国、あと台湾あたりが思い浮かびますが、でも礼儀を保ちつつも、年齢とか無関係にこんなに人なつっこく気さくにmake
friends してくる人々ってなるとちょっと思い浮かびません。もちろん、全然違うタイプだって沢山会いましたし、あの2人はとりわけ濃いキャラだったのかもしれませんが、でもわりと多くのイラン人にこの2人組みたいなところがありました。
その後も、他の人々となんやかやとおしゃべりをする羽目に。そもそもそれほどおしゃべり好きではない我々なので、別れた人たちとの余韻に浸りたい気持ちや、単純におしゃべりも疲れたので静かになりたい気持ちもあったのですが、なんだか我々ととってもしゃべりたそうに話しかけてくる人々とはさすがにしゃべらないわけにもいかず。この頃になると「珍しい国の旅行者がいるぞ」という感じで我々も少しは顔が売れてきているのか、好奇心の強い人々がおしゃべりしようよ、とやってきたりもします。やたら愛想の良い乗務員が話したそうにやってきたのですが、質問攻めにされるは英語がほとんど通じないわで激しく疲れました。イランではこういうこともしばしばあります。
さて、列車はダマスカス行きということになっていますが、実はこれ、そのままこの車両が直通ということではなく、トルコのヴァン湖というところでフェリーに乗り換えます。最初は列車がフェリーに乗るのかとも思いましたがそうではなく、イラン側の列車 → ヴァン湖フェリー → シリアの列車、というバケツリレー。なかなか変則的で旅としては面白い気もしますが、いちいち時間がかかるのは覚悟する必要があります。
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トルコの地図。ヴァン湖なんて迂回できそうなものなのに。 |
乗務員さん達と別れを告げ、みんなで列車を降りました。ここまでなんだかんだで3,4時間遅れたので波止場ではもうフェリーが口を開けて我々を待っていました。
| みんなで大荷物を担ぎ大移動です。自分のものは自分で運ぶ。気分は修学旅行。 |
何の変哲もないフェリー。しかもこれ、一般客を乗せている、、、というか一般客用のフェリーに国際列車の乗客である我々が便乗する形です。しかし、切符のチェックもなければ点呼もなかったぞ、乗務員さん達はみんなさっきの列車でみんな帰っちゃったし、、、なんだか大らかなシステムです。
しかも座ったそばには修学旅行帰りのトルコ人大学生達が陣取ってワールドカップサッカーを見ていました。 | |
晩ご飯を食べ損なったので(というか食べる機会なんか無かったぞ?!)、フェリーのスナックスタンドでパニーニサンドイッチを食べました。こんな気の利いた洋食はイランにはなかったな。いちいちそういう風にイランと較べてしまう自分。
マイクは疲れが出たのか気分が悪くなり、空いている座席に陣取って横になります。もう0時をまわっているので無理もないか。僕は僕で本を読んでたりすると、また自然と顔見知りのイラン人が来ておしゃべりが始まったりします。
フェリーの後半で会話をしたのは、すぐ隣に陣取っていたイラン人ファミリーでした。男の子、お父さん、そのお母さんであるおばあちゃんの3人。お父さんが物静かな人のようで今までしゃべる機会がほとんどなかったのですが、顔見知りのイラン人が通訳してくれてふとおしゃべりが始まりました。で、このおばあちゃん、とにかくよくしゃべるしゃべる。そしてよく笑う。イラン人女性とこんなに親しくおしゃべりになったのはこれ以外例がないかもしれません。イランでは女性が男性である僕にきさくに話しかけてくるということ自体が珍しいので。最初は興味津々ながらもどこか気恥ずかしそうな笑顔で遠慮がちに話しかけてきていたのですが、しゃべっているうちに楽しくなってきて、冗談を言っては自分で頭に手を当てて笑うなんてこともしばしば、とても可愛いおばあさんでした。途中からマイクも起きてきて参加。僕なんか「なーんだ、あなた達、兄妹じゃなかったの。私の行き遅れている娘をあなたにあげようと思ったのにそれじゃあダメね〜」なんて言われてしまいました(^o^)。
暖かいやさしそうなおばあちゃんだなあ、なんて思ってたのですがよくよく話を聞くと何とまだ50代。自分のおかんより若いぞ?!イランではまだ先進国と違って結婚・出産も早いですし、また生活もいろいろ苦労はあるんでしょう、子供以外はみんな実年齢よりも老けて見える感じがあります。このおばあちゃんも、いや、おばちゃんというべきか、いろいろ艱難辛苦を乗り越えて来ているのかもしれません。
| 「いつかはメッカに巡礼に行きたくて、ちゃんとお金も貯めて順番待ちの申し込みもしてあるんだけれど、行ける人はほんの少しだけ、なかなかいけるものじゃないのよ。」 |
ふと、「ねえ、僕らはイスラム教徒じゃないけれど、そういうのって気にならないの?」と恐る恐る聞いてみましたが、こちらの目を見つめながらとてもやさしい答えが返ってきました。「そんなの全然平気。イスラム教徒以外の人だって沢山いることはもちろん知っているわ。大切なのは心よ。信じているのがブッダであろうと違う神であろうと、良い心を持って善い行いをして善く生きていく、それが大事なのよ。」
マイクの様子に気がついたのか、「大丈夫?疲れているの?」。疲れていて少し気分が悪い、と説明すると、「これをお湯に入れて飲みなさい」、と不思議な結晶をくれました。
素朴な氷砂糖のようでした。お湯に沈めるととても美しく、おばあちゃんの優しさがぎゅっと詰まっているかのようでした。 | |
| ぼぉおお〜〜〜〜。ようやく到着です。 |
小さい湖だと思っていたのですが、結局3時間近い航路でかなり疲れました。 | |
「さあ、これでゆっくり寝られるぞ」と思ったのですが、なんとトルコ側の列車がまだ来ていない。さわやかな夜風の中、みんなでぼんやり列車を待ちました。話している人もいますが、疲れて座り込んでいる人も多かったです。待ちくたびれた頃に列車が到着。右往左往して自分たちのコンパートメントを見つけ、洗顔・歯磨きだけして床についたのは午前3時過ぎでした。
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