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6月26日 月曜日

イラン旅行 第7日 テヘラーンへ無事帰還

当初、飛行機でテヘラーンへ戻る予定でしたが売り切れでバスで戻ることになってしまったため、今日の大半はバス移動に。エスファハーンとテヘラーンをもう少し観光したかったのですが、仕方ない。

イラン最高級ホテルだけあって朝食は素晴らしかったです。ビュッフェ方式で種類豊富。ゆっくり食べている時間がなかったのが残念。

テヘラーンへは所用5時間のバスの旅です。おとといの教訓を生かし、ちゃんとエアコン付きの「スーパーボルボ」バスを手配しました。どうか定刻通り到着して欲しい。遅れれば遅れるほどテヘラーンでの観光時間が減ってしまうし、万が一、夜の長距離列車に乗り遅れるようなことがあったら悲劇だ。な〜んて朝食時に話していたのですが、遅れるのが得意なのは我々の方。朝食ビュッフェであれもこれもと欲張って時間ぎりぎりになってしまい、バスターミナルに大慌てで駆け込みました。

バスからの眺め。場所にも寄りますが、基本的にこんな感じの風景が続きます。昔から文明の発展してきたペルシャですが、大部分はこんな乾燥地帯です。季節のせいか。それとも地球規模の環境変化か。
前を行くトラックですが、こりゃまたなんとも賑やかですなあ。
外は46℃?きっとこれは温度計が壊れているのだ、何かの間違いだと信じたい。。。でもかなり暑いのは間違いなし。
たまに通り過ぎる市街地ではいろいろ見慣れないものが出現し目を楽しませてくれます。
サービスエリアのようなところでトイレ休憩です。駐車場は灼熱って感じ。はやく中に入って涼もう。
入るなりこんな感じです。これは祭壇か、それともただの芸術か?大まじめらしいことは間違いなさそうですが。。。

イスラムは偶像崇拝は禁止されているはずですが、こんな風にシーア派の聖人のモチーフを崇めている光景は随所で見ました。
ハンバーガーやピザは大人気のようです。1回くらい試してみても面白かったか。

反米路線を貫き独自文化を守っている感じの強いイランですが、来てみると随所でこうやって欧米文化が人気を呼んでいることが分かります。
土産物売り場では何か食べ物を作っていました。お好み焼きみたいなモノかな、あつあつで美味しそう〜、と思ったのですが、、、
答えはお菓子でした。すっごく甘いだろうことは想像に難くありません。お好み焼きだと思って注文してたらショックだったろうな。
こういう光景って他のイスラム教国にはあるんでしょうか?
イランでしばしばお世話になった「ザムザムコーラ」。コカコーラも進出してきてはいましたが主流とまではいかない様子でした。味の違いは微妙。

他にも「メッカ・コーラ」なんていうのも見ました。ザムザムコーラもメッカコーラも反米・反グローバリズムの騎手で、メッカコーラは中東情勢が緊迫すると売り上げが上がったり、売り上げの一部がパレスティナ支援にまわったりするそうですが(http://www.mecca-cola.com/)、そもそもコーラという清涼飲料水を飲むカルチャー自体が非常にアメリカ的な文化だったりして、文化レベルでのグローバリゼーションの抗いがたさが伺えます。

さて、午後も大分遅くなりましたがテヘラーンに無事到着。残された時間はあと僅か。気合いで観光開始です。検討の結果、テヘラーン市内散策も捨てがたかったのですが、地下鉄に乗って南の郊外にあるホメイニ氏の霊廟に行ってみることにしました。

これこれ、この人です、ホメイニ氏。人気のほどが伺われます。街中のとある商店にて。
町の中心部の地下鉄駅です。地下鉄駅って意外と異国情緒漂うんですよね。
中は地上の門構えからは想像もつかないくらい近代的です。開通して10年も経っていないそうで、なるほど納得。それにしても、イランにこんな近代的な地下鉄があるというのはちょっとした驚きでした。
え〜、我々の乗る路線は...

これだけ読めない字で書かれると、なんだか抽象絵画として鑑賞するしかないな...(笑)


解析の結果、新線をどんどん建設中らしいということが判明しました。都市としての活気が伺われます。

肝心の行き先と乗るべき路線はよく分かりませんでしたが、我々には「歩き方」があるので大丈夫。歩き方万歳。

自動改札もなかなかハイテク。フランスやイタリアなんかより使い勝手が良いかも?!

ただし、使い方になれてなくてひっかかる人が続出して混雑したりもしていました。
いよいよ地下鉄デビューです。
ホームもこんな感じで近代的。でも、人々はイラン風。
車窓から眺める21世紀、リアルタイムのイランの景色です。

すべてが全く未知の世界のような新鮮な感覚と、同時代性による既視感が混在し、まるでパラレルワールドに踏み込んだかのよう。
車両もこんなに近代的。フランス製の車両なんかもありましたが、地下鉄建設の大半を請け負ったのはなんと中国企業だそうで、これまた興味深い。別ルートのグローバル化、って感じです。

遅くなってしまいましたが、終点のホメイニ廟の駅に到着。

なんだか物々しいシルエットです。時間帯によっては大きな金色のドームが威容を放っているそうです。

この霊廟に眠るエマーム・ホメイニー師は1979年のイランイスラーム革命の指導者であり、現在のイスラーム共和国体制樹立の立役者です。革命後もイラン・イラク戦争などあり苦難は多かったようですが、1989年に死去すると国中が悲しみに明け暮れたとか。で、この霊廟がシーア派の重要な聖地の1つとなり、巡礼者が後を絶たないそうです。

一般論として、カリスマ的指導者が国中の人気を博し崇拝の対象になるというのはどこでもありそうですが、神聖な存在として崇められるというのはイスラム的ではないような気がするのですがどうなんでしょう?僕自信、愛国主義とか国家主義には懐疑的な方なので、そうやって国の指導者が絶対的なカリスマになるということには気持ち悪さをおぼえるのが常ですが、ただ他方で一般庶民レベルの宗教的な感情のあり方としては、肩肘張って啓典とか原理主義とかに拘泥することなく、国の苦難の時代の矢面に立った指導者を敬愛して巡礼の対象に含めてしまおうという自然体なおおらかさは好感が持てる気もします。この柔軟性の背景にはイランのイスラム教は元々長い歴史があったところに入ってきた新しい外来の宗教だというのもありそうです(*)。そういうのは日本も同様で、日本の宗教観も仏教・神道ないまぜになって弘法大師から菅原道真からご先祖様まで祀ってきたような大らかなところがありますから、そういうところで親近感が湧くのかも。

(*)イスラムに少し詳しい方はスンニ派とシーア派の違いなども念頭に浮かぶかもしれませんが、シーア派の説明などは長くなるのでここでは省略。ただ、イスラム前の長い歴史や文化のあるところにシーア派が花開いたというのは偶然ではなく、上で日本のアナロジーを書きましたが、そういうリンクがあるような気が何となくするんですよね。

たくさんの家族連れが巡礼に来ていました。巡礼と言っても、孫を連れて縁日の出ている神社に遊びに行くかのような、どことなくほのぼのした雰囲気がありました。実際おみやげ物屋とかが軒を並べて繁盛していましたし。国家による思想統制とか思想教育みたいな気持ちの悪いナショナリズムは、少なくともここではほとんど垣間見えませんでした。
おいおい、危ないって。そんな風に遊んじゃいかん。

楽しそうな家族連れが多かったです。

ちなみに、外国人観光客は1人も見かけませんでした。我々が道に迷ってうろうろしていると、こっちだこっちだ、一緒に行こうじゃないか!そんな感じでみんな親切にしてくれました。

さてトームの下のところまでたどり着くと、霊廟内部は土足厳禁。入口には男女別に物々しいセキュリティチェックと靴を預ける場所が。そして合宿所のような大部屋を抜けると大きなドームの内部に入ります。内部はとても広く、あちこちに座ってくつろいだり祈りを捧ることのできる絨毯スペースが広がっています。床は全面、大理石で、照明もふんだんにあり外光もほどよく取り入れられ、神秘的なような贅沢なような不思議な空間でした。広々しているように思いましたが、きっとイベントの際には大群衆で埋め尽くされるんでしょう。

ホメイニ氏の棺が納められている一角。参拝に来ているのは1979年革命当時10代、20代を過ごしたと思しき中年世代が多かったように思います。

それにしてもここだけはまったく雰囲気が違い、食い入るように見入っている人や高額のお賽銭を入れる人々に混じって、嗚咽を漏らして泣き崩れる人、涙を流しながら霊廟に口づけする人なども。

想像以上の雰囲気に、それまでのハイテンションな観光モードも吹っ飛んでしまい、いろいろ考えさせられてしまいました。熱い気持ちでホメイニ氏の霊廟に来るような人々が現代イラン人の大部分ということはないでしょうが、こういった人々の心情がイランという国のプライド、露骨な反米主義や独自路線などといった頑なな側面の一端を担っているのかもしれません。これらの「革命世代」が歳をとり、ムスタファ君たちのようなリベラルな今の若者世代が国の中心を担うようになる時、イランはどんな方向へ向かっていくのでしょう。

これからのイランを担っていく革命も戦争も知らない若い世代。

ホメイニ廟で今回のイラン観光は実質的に終了。なかなか考えさせられる締めくくりになりました。

市内に戻り、食事をして鉄道駅へ向かいます。レストランがやたらサービスが遅く、急いでタクシーに乗ったら道がまた激しく渋滞し大あわてで駅に駆け込みます。うちら、いつもこんな感じなのですが。

鉄道駅を見学している時間がなかったのがとても残念。駅舎は社会主義国チックなあまり面白味のない建物でしたが、イベントでもあったのかきれいなイルミネーションがついていました。
駅員さんが親切に対応してくれて、乗客用でないようなところから構内に入れてくれて、なんとか列車のいるホームにたどり着きます。良かった、間に合った!

と、思いきやボスキャラ登場。恐そうな乗務員のおっちゃんが現れ、遅刻した理由などを問いただされます。「本当はもうダメなのですが、仕方がないので特別に席を用意して乗せてあげましょう」という態度。なんでそんな風に叱られるんだろう、という気がしなくもありませんでしたが、まあ遅れてしまったのは我々だし乗れればいいので、下手に出て頭を下げ乗せてもらいました。これもイラン流?良い経験ができた、と前向きに納得する事にしました。

なんとか乗り込むことができてほっと一息の我々。無口な乗務員さんが持ってきてくれた温かいお茶を楽しむと、疲れもどっと出てきて、洗顔して早々に就寝しました。

列車はイランの北西部から国境を抜け、明日の今頃はトルコ領内です。イラン旅行もいよいよエピローグです。

車内は思ったよりきれいで快適。

テヘラーン市内の街の灯りが窓の外を過ぎ去っていきます。

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今日のトピック: ペルシャ語について

今回は語学のことを。少々マニアックですが悪しからず。

ペルシャ語を知らずにイラン旅行は可能か?と聞かれれば、さほど問題なく旅行できる、というのが僕の答えです。確かに英語の通用度は低いです。ヨーロッパのように英語のできる人が沢山いると言うことはないし、隣のトルコよりも英語のできる人は少ない。数字と挨拶以外片言の英単語も知らない、という人が大勢います。イランは日本や中国と同様、輝かしい伝統のある1つの言葉でやってきた国ですから、外国語は「学びたい人が意識的に一生懸命習得するもの」という位置づけです。とはいえ、英語は今では「一番人気のある外国語」になってきたようで、一番英語をしゃべれるのは学生達。(しばらく前までは外国語の科目がなかったり、大学ではフランス語をやる人が多かったりしたそうです。)ド田舎とかに行かなければ、少し探せば英語のできる人はいます。もちろん、ホテルなど、外国人相手の商売では英語が通じるのはいうまでもありません。文字は少し問題ですが、都市部ではアルファベットの表記もかなりちゃんとあります。みんな親切で安全で旅行もしやすいので、言葉無しでも充分旅行を楽しめると言えるでしょう。

とはいえ、その国を自分の目で見る、というのはそこにいる人たちの目線に可能な限り近づいてみることだ、っていうのが僕の旅行のポリシーであり、イランというこれだけ独特の国だってこともあり、少しでも深く入れるように出発前にちょっとだけでもペルシャ語をかじってみようかな、と思い勉強してみました。といっても、空いた時間を使って旅行直前に1週間ほどと日本からの飛行機の中でやったくらいで、大変短いものでしたが、それでもすごく楽しい体験になりました。片言だけでも意思疎通ができるとすごく楽しいですし、また旅行中もいろんなことが見えてきますし。それに言葉は文化や歴史の生き証人でもありますが、このペルシャ語って言葉それ自体がとても興味深いんです。

というわけでペルシャ語に関するうんちくを少々。まず文字ですが、基本的にアラビア文字です。右から左にうねうねとつづるあれですね。手っ取り早く旅行会話を、ということなら飛ばしても良いんでしょうけどね。ただ、数字だけはおさえておくと良いかと思います。ちなみにこれ、見た目ほど難しくはないです。文字という意味では日本語やタイ語なんかよりははるかに簡単。

次に言葉の分類。人間と同様、ペルシャ語もアラブ文化圏かと勘違いされるのですが、言葉としてはアラビア語とは全然違う。語族で言うと、アラビア語の属するセム・ハム語族ではなく、インド・アーリア語族(印欧語族)ってのに属していて、インドのサンスクリットからラテン語、ヨーロッパ諸語を含む大きなファミリーの一言語なのです。というか、「アーリア語」っていうのは元々「イラン人の言葉」ってことなんだそうです。

ということで、勉強し始めると次から次へといろいろな発見が出てきます。たとえば単語レベルでは、ドホタル(娘)、ベフタル(より良い)、なんて英語みたいなのが結構あります。語族とは関係ないですが、近現代にペルシャ語に入ってきたようなものでは、トヴァーレト(トイレ)、郵便局(ポストハーネ)、などなど。フランス語から入ってきたような単語も多い。月名はすべてフランス語だし、若い人たちは軽い意味の「ありがとう」として「Merci!」なんて言っています(多分、フランス語だなんて知らないんだと思う)。ヨーロッパの言葉同士ならともかく、ペルシャ語とフランス語に共通点が沢山ある、なんていうのはとても興味深いですね。さらにその他の周辺地域の言葉の単語との関連も当然沢山ありましたし、文法レベルでも興味深い共通点がいろいろありました(*)。このエリアに多くの言語がやってきては影響し合って出ていったんだなあということが伺われますね。

他方で、かなり学びやすい言語でもあるらしいです。文法はそれほど大変ではなく、動詞の活用はかなりシンプルなようですし、名詞などの格変化もない。前置詞を日本語の助詞のように使えばいいし、性の区別はなく、名詞の前に冠詞を置いたりという問題もない。発音も、若干慣れが必要な子音がありますが、日本人には簡単そうに思いました。

というわけで、いろいろな言葉の歴史的交差点を体感できる興味深い言葉でありながら意外に取っつきが良いので、もし語学に興味がありイランを旅するのならかじってみる価値は大だと思います。イラン旅行以外には使う機会が無さそうなのが玉に瑕ですが。

(*) 例えば、アラビア語と共通の単語は当然多くて、たとえば時間に関する単語なんかはアラビア語そのまま。こんにちはは「サラーム」だし、数字はアラビア数字。また、モンゴルなんかからの影響も強いようで、Mr.を意味する「アーガー」という単語はモンゴル語起源だそうです。文法レベルでは例えば、動詞の活用を1人称単数から3人称複数まで覚えて勉強していくのはヨーロッパ諸語と同じで、一度でも勉強したことがあれば自然に勉強できます。2人称単数への丁寧な表現として2人称複数を使うのは、フランス語やロシア語と一緒。(ちなみにスペイン語やポーランド語では3人称単数、ドイツ語では3人称複数。)他にも、英語のいわゆるthat節に相当するものの中で接続法を用いるってのもヨーロッパ諸語と同じ発想です。(ちなみにペルシャ語で節を導くのはthatではなく「ケ」です。フランス語みたいです)。

使った教科書は白水社のこれ。なんだそのシリーズか、という向きもあるかもしれません。このシリーズ、言葉によってできにムラがあって、僕はそんなに好きじゃなかったのですが、渋谷のブックファーストで探してみたら、音声のついたものというのはこれだけ、選択の余地無しでした。もう少し種類があるかと思ったのですが、あんまり需要がないんでしょうね。

しかし結論としては、この本、悪くなかったです。ただ、旅行で使うような実践的なスキットが少ない点、それから旅行で耳にする「口語体」についてほとんど解説がない、という点が不満でした。

あと、Lonely Planet が出しているペルシャ語会話のあんちょこみたいな本も購入。この2冊で申し分なしでした。
少年がつけているのは、「背番号5番」。

なお、ペルシャ語はしばしばその美しさをたたえて「中近東のフランス語」などと言われたりします。自分としては、そういうのって欧米至上主義的なありきたりのクリシェにしか聞こえないですけど。そういうの聞くと、いつも頭の中で「フランス語はヨーロッパのペルシャ語と呼ばれているくらい美しい」なんてひっくり返して遊んでみたりしてます。まあ、客観的に見て他の言葉より美しいかどうかというのは別としても、僕個人としてはペルシャ語は言葉の響きや音調に独特のものがありとても気に入ってます。語尾、文尾にアクセントが来ることが多く、詩の朗誦になんだか向いているような、世界的な詩人を沢山輩出している言葉だってのがしっくり来る響きだと思いました。

さて、実際に旅行中で使う、ってことですが肩肘張らずに単語を並べてみるだけでもかなり違いが出てくると思います。イランでは「外国人も自分たちの言葉をしゃべれて当然」のようなアメリカ、フランス、ロシアのような意識はこれっぽっちも感じませんでした。すごく遠くからやってきた日本人が「ハロー」の代わりに「サラーム」と言い、「サンキュー」の代わりに「モタシャッケラム」というだけでみんなすごく喜んでくれて愛想良くしてくれて、イランにいるんだなあって感動が深まること請け合いです。それに、イランでは人とのさりげない交流が結構楽しかったりします。パリやニューヨーク、イスタンブールへの旅行なら、現地の人々とは無関係な充実の旅行も成立するでしょうけれど、僕の場合、イランで出会った人々とのやりとりはイラン各地の観光地の訪問に勝るとも劣らずに印象に残っています。昔、中国に行った時にも感じたのですが、例え挨拶をほんの少しでも良いです、少し言葉をかじってから旅行することの感動を味わえる国の1つと言えるでしょう。

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