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6月24日 土曜日

イラン旅行 第5日 エスファハーンへ

昨日が休日だったので、今日はまず旅行会社に行きエスファハーンへのバスを手配し、そしてついでにテヘランからトルコまでの国際列車のキップも手配しました。旅行会社では英語で親切に対応してくれますが、休日明けで混んでいたのと国際列車の手配、ということで非常に時間がかかります。全部で2時間半とか。

ここでちょっとした事件が起きました。旅行会社であまりに待ち時間が長いので、マイクが1人で付近の写真を撮りに行ったのですが、それがいつまでたっても帰ってこない。ちょっとそこまで、というはずだったのに1時間以上戻ってこないので事故にでも遭ったかと心配になりますが、待てども待てども帰ってこない。キップの購入が終わりそうでなかなか終わらないので、動こうにも動けないまま途方に暮れていたところ、ようやく見知らぬイラン人のおばさんと一緒に戻ってきました。ことの顛末は次のようでした。マイクが写真を撮ろうと人通りの少ない旧市街の道に入りうろうろしていると、突然バイクに乗ったおかしな男に後ろからお尻をバーンとはたかれた。痴漢というより暴漢という感じですが、明らかなセクハラ。そいつはちょっと行った先で振り返ってこっちをにらんでいたが、しばらくして気が済んだのか、人気に気がついたのか、去っていった。マイクの後方から事件を目撃したとおぼしき自転車を押したおっちゃんがやってきて心配してくれて、近所のおばさんのところへ連れて行ってくれた。そのおばさん家族がとても親切で気を使ってくれ、車で送ってもらうことになったが、英語が通じず、マイクは僕が待っている旅行社の名前も覚えていなかったので、英語が通じる人を探そうということになり我々の滞在先のホテルまでわざわざ出向き、ホテルの従業員に通訳してもらってから、旅行社まで送ってもらって帰ってきた、とのことでした。そりゃあ、時間もかかるよな、という感じですね。

まずはなにあれ、大したことではなくホッとしました。イランでそういうアクシデントにあってしまった、というのは残念でもあり、我々の脇が甘かったというところもあるのですが、同時にその場のおじさんやおばさん家族の親切心に触れることができたのは不幸中の幸いでした。痴漢というか変質者という感じでもあり別にイランでなく日本でもイタリアでもあり得るんじゃないかという気もしますが、マイクの話を聞いていると、一人旅の女性への偏見・蔑視というのも背景としてありそうです。

時間がおしてしまいましたが、最後のヤズド観光へ繰り出します。

マイクはちょうどこんなところを歩いていて事件に遭いました。外国人女性の一人歩きはやっぱり注意が必要っぽいです。
ペルシャといえば、絨毯...高級なイメージが。。。
街の鍛冶屋さん。国が貧しいわけではないのですが、世界の経済発展と一線を画しているため、今の先進国ではなかなか見られないような街中の情景が、こんな風に沢山残っています。
ゾロアスター教の寺院を見学に来ました。馴染みのない宗教なのでどんなものかと思ってきましたが、中は意外とシンプルであっけない感じでした。
ご本尊にあたるのがこの中心部で燃えている聖火。1500年以上前から燃え続けているそうです。そう聞くとすごいですね。まさに拝火教。これ以上近寄って見られないのが残念。
ここでもイラン人とおしゃべり。観光できていたメガネの女子高生がマイクに親しげに話しかけてきて、会話が弾んでました。僕らは実年齢よりもかなり若く見られることが多いですが、そういうことは気にしないことにして楽しんでいます。
街中で見かけたおばさんですが、確か、水玉模様のマントーをまとっているのはゾロアスター教徒の女性だと読みました。少数派ではありますが、ここらへんにはゾロアスター教徒も大分いるようです。ゾロアスター教なんて「世界史で出てくる宗教」なわけで、目の前に信者さんがいるといわれると、なんだか不思議な気がしますね。
今日は土曜日。休日ではないのでバーザールもにぎわっています。って、それほどにぎわってないな。ヤズド商店街にも過疎化の波が?!
街中をキョロキョロしながら歩いていると、こんな風に挨拶されちゃうこともしばしば。カメラを向けると喜んでポーズをとったり、時には写真をせがまれたりします。

ここら辺は国民性なんだろうなあ。ボリビアに行った時は、マイクが市場でおばちゃんの写真を撮ろうとしてジャガイモをぶん投げられた、なんてこともありました。イランとは大違い。

バスターミナルで急いで簡単な昼食をかっこみ、エスファハーン行きのバスに。ところで、バス会社を吟味している時間が無く適当に買ってしまったため、ついに乗る羽目になってしまいました、「メルセデスベンツ」バス!!

これです。なんか「アジアバス旅行」的な趣が満点です。
「スーパーボルボ(1等バス)」ではなく、「メルセデスベンツバス(2等バス)」なので、もちろんエアコンはありません。大丈夫かな〜、不安がよぎる。「Mercedes-Benz」のロゴが恨めしい。
道中、ずっとこんな炎天下でした。でも、割と良い席を確保し、ちょうど良いところに開いている窓があって風が通ったので、何とかしのぎました。次は、絶対、「ボルボ」バスにしようっと。

車窓の風景を少々。

こんな集落があるんですね。どういう社会生活を送っているのか、想像つかないな。
山道もあります。地図を見てちょっと楽しみにしていたのですが、ずっとこんな感じの荒野でした。
エスファハーン、125km。左上の3つがアラビア数字。ハートのひっくり返ったお尻みたいなのが「5」。
暑かった...

無事、エスファハーンに到着。バスターミナルからタクシーで市内へ出るまであちこちでホテルの斡旋を受け、ああここは観光都市なのだなと認識。さっさと宿を決めて、観光に繰り出します。

エスファハーンはパリやロンドンのようにザーヤンデ川という川の両岸に広がる街です。いくつもの美しい橋が見逃せません。

いくつもある橋の中でもシンボル的な存在なのがこのスィー・オ・セ橋。1602年完成。とても立派で、ああ、エスファハーンに来たんだな、と実感。
この橋は車は通れないようになっていて、多くの人々が行き交っています。
日本橋もこうやって残せば良かったのに。
アーチの1つ1つから外側へまわり水面を見下ろしたりできます。アーチの陰で休んでいるおじさんやはしゃいでいるカップルや家族連れも沢山いました。
橋のたもとにはチャイハーネが。涼しげで良いですね。
橋のない方はこんな感じの風景です。あちこちに大きい噴水があります。緑もあるし周りには山もあるし、自分的にはかなり好みの街。

さていよいよ、エスファハーン最大の見所、エマーム広場に向かいますが、暑くてバテ気味なので途中で休憩。すぐにバテて休憩ばかりしている我々。昔はこんなんじゃなかったのになあ。

好物のファールーデ(前述の糸状シャーベット)と、名物のサフランアイス。イランではどこへ行ってもサフランがとても贅沢に使われています。これも別に高いものではありません。ま、サフランライスは好きだけれど、アイスのフレーバーとしてはちょっとインパクトに欠ける印象。
こうやって1人でジュースとおやつを楽しんでいるおっちゃんをよく見かけました。老若男女問わず、甘い物好きなようです。

たっぷりダラダラしたところで、商店街を抜けてエマーム広場へ向かいます。

商店街のアーケード。
宝飾店かな。
服屋さん、というより反物屋、って感じかな。
こんな感じのお店が沢山あって賑わっていました。西側のテーストを入れながらもイラン流。ただ、ファッションに凝るのは女性が中心のようですね。男性は女性と違いスカーフなどの制約が少ないにもかかわらず、みんな冴えないシャツとゆったりスラックスにサンダルみたいな代わり映えしない格好ばかりで、男性のおしゃれのための店というのもあまり見ませんでした。
本屋。1回くらい入ってみても面白かったかもな。
サンダル屋。こんな店が並んでます。

一気に視界が開け、エマーム広場に到着。

これは壮観。

エスファハーンはサファヴィー朝のアッバース大帝が1597年に首都をここに定め、それ以降大規模な都市計画を推進していったことで栄華を極めました。このエマーム広場を中心に時代の粋を極めた宮殿、寺院、橋、バーザール、などが整備されていき、その後のヨーロッパからの訪問者も讃辞を惜しまなかったとか。「エスファハーンは世界の半分である」という有名な文句があるそうで、この文句、人によっては世界史の教科書で読んだことがあるなんて聞きましたが、まあつまりそのくらい素晴らしいと言うことですね。その言葉はエスファハーンの中でも特にこのエマーム広場一帯のためにあるとも。

今は広場の一部は車が通れて駐車場もあったりしますが、大部分は芝生、水場、ベンチなどが広がっていて憩いの場になっていて、夕涼みに出てきたイラン人家族で賑わっていました。

広場の周囲は壮麗な寺院がいくつも威容を放っています。それ以外の場所はバーザールになっていていろんな店がひしめき合っていました。

こんなアーケードの小路が広場を取り囲んでいます。
夕暮れ時はもちろん、日が落ちてからも素晴らしい。
水場や噴水があちこちにあるのでとても気持ちがよいです。
で、この広場の建築で特に印象的なのが南側のエマーム寺院。広場に面した門の部分とその奥の寺院の聖堂の部分が45度の角度をなしているんですね。メッカの方角に合わせるためにこうなったとのことですが、遠近感がすごくドラマチックになりますね。日本式庭園でもこんなようなテクニックがあった気がしますが、それをこの規模でやってるわけですね。広場全体をダイナミックに際だたせていました。
少し寄ってみるとこんな感じです。45°角度をつけるだけでこんなに迫力が増すんですね。
バーザールをちょっとぶらぶらしてみることにします。
いろんな個人商店が所狭しと並んでいます。大手の「チェーン店」みたいなのは皆無です。
ペルシャ絨毯のお店。いくらなのか、値段くらい聞いてみても良かったんだけれど、その途端、「中でお茶でもやってけ」とかってなることが目に見えていたので聞きませんでした。でも、やっぱり聞いてみれば良かったかな。
ヤズドは夜がとてもはやかったのですが、エスファハーンは大分宵っ張りのようです。人混みをかき分けホテルに帰りました。
晩ご飯は歩き方で薦められていた大衆食堂(ノウバハール)で食べましたが、それほどでもなかったな。我々がちょっと夏ばて気味だったせいもあるかも。

ここで珍しく他の日本人グループに遭遇しました。バックパッカー仲間が一緒にご飯を食べに来たという感じでした。ここまでほとんど見かけませんでしたが、イランを通過するバックパッカー達はそれなりにいるんでしょうね。

夜、ホテルの屋上にある喫茶店に水を買いに行ったら閉店後だったのですが、親切なおじちゃんが出てきて水を売ってくれました。ついでにペルシャ語の数字なんかも教えてもらっちゃいました。発音を念入りに直されたりしました。(^^

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