6月22日 木曜日
イラン旅行 第3日 砂漠都市ヤズドへ
3日目。前日、くたくたになったので少し遅めの始動です。昨日少し話しただけのアリレザ君とランチを一緒にしようと言うことになりました。午前中はフリータイムです。
イランでもインターネットはできます。(実はイランは知られざるブログ大国だったりします!)久しぶりにメールをチェックしたり、ニュースを読んだり、ファンタジーベースボールを世話したり(^^。 どうでもいいけど、この時、パソコンの世話をしてくれた宿の若い女の子、結構かわいかったのですが、スカーフをかぶりながらも、わりとタイトなズボンをはいていてウエストをきゅっとしめていたりて。愛想もとても良かったりして、またしても旅行前の「イラン女性」という固定観念が崩れます。 |
イランのキーボード。 |
この後、買い物と街角見物。この先、砂漠に旅立つ、ということでトレペや飲み物などを調達。って、途上国旅行ではないのでそんな気合い入れて準備する必要もなかったのですが。ホテルをチェックアウトし、アリレザ君と待ち合わせ彼の行きつけの店にランチへ向かいます。
途中、タクシーを拾ったのですが、テヘラーンの時と同様、アリレザ君もタクシーの運転手ともめてました。どうも、外国人である我々を乗せるとなると高い運賃をふっかけてくる、というのが一般的なようです。ちなみにこれは今回の旅行中ずっとそうでした。タクシーだけはホスピタリティとはいかないようです。
シーラーズの名物料理の1つを食べました(名前忘れてしまいました。)。クルミなどが入ったベジタリアンシチューでした。食べたことのない味わいでグッドでした。薄く焼いたパンとヨーグルトと一緒に食べるのはもうイランの定番。 |
拡大図。 |
いろいろ一緒に観光もしようか、と言っていたのですが結局、レストランでゆっくりずっとおしゃべりして時間が無くなってしまいました。彼の正体にもついていろいろ判明。ムスタファ君とは大学時代の同級生でルームメイトでもあったそうです。今は、政府系の研究機関で研究者として働いていて、同時にPhDを取得しようとしているところ。専門はイランの考古学。で、ペルセポリスなどの遺跡が沢山あるってことで、シーラーズに移ってきたってことのようです。昨日、彼が連れてきた運転手のことは結局よく分かりませんでしたが、いろいろなところにタダで入れたのはそういう事情があったようです。ペルセポリスの遺跡の発掘なんかにはアメリカのシカゴ大学がかなり関与しているとのことで、シカゴの話で思わず盛り上がりました。
ムスタファ君とは旧知の親友のアリレザ君ですが、2人の性格はとても対称的なようで、アリレザ君はかなり真面目で慎重。イスラム教に関しては敬虔というほどではありませんでしたが、ムスタファ君のように「神なんか信じないぜ」みたいに言ったりすることもなさそうで、基本的に保守的です。面白いなあ、と思ってバックグラウンドも聞いてみたら、都市で育ったムスタファ君とは違い、彼はビレッジ(貧しい農村)出身だそうです。両親はもちろん、お姉さん達もまだそこで暮らしているとか。彼だけテヘラーンの大学に行けたとのことで、かなり優秀だったんだろうな、と思うと同時に、途上国にしばしば見られる都市と農村の二重構造のようなものがイランにもあるんだな、と発見。また2人の性格の違いも一部はそういうバックグラウンドの違いで説明できそうです。「ムスタファは政治的なことにすごく鋭いんだよな、僕は全然だ」みたいにしゃべってました。マイペースでのんびりしていて、興味のないことにはとてもおおらかな、なんだか楽しい性格のお気楽なやつでした。彼がきっぱり断固とした様子を示したのは、タクシーを拾う時に運転手にふっかけられてもめた時と、それから昼食後、我々が「世話になったから」とこちらで勘定を持とうとした時でした。ムスタファ君の時は2,3回目で折れてこちらに払わせてくれたのですが、アリレザ君は断固として応じようとしなかったのでこっちが根負け。こっちにも少しくらいお礼させてよー、と思うのですが、結局、何から何までお世話になってしまいました。昨日、初めて会っただけなんですけれどね。客人をもてなす、ということをすごく大事にするカルチャーのようです。結局、こっちは後日、絵はがきを送ったりお礼のメールを書いたりしましたが、お礼らしいお礼はできなかったな。
その後、アリレザ君にバスターミナルまで送ってもらい、またいろいろ世話を焼いてもらいました。丁寧に別れを告げたあと、いよいよヤズド行きのバスが出発です。 バスターミナルはどこもこんな感じ。長距離バスは庶民の大事な足で、どこも活気があります。待合室の方は冷房が効いていたり、みやげ物屋があったり。あと、トイレの近くに水場があって沢山の人がそこで足を洗っている、っていうのがなかなか新鮮でした。 |
我々の乗ったバスは「スーパーボルボ」とよばれる高級バスでエアコン完備、とても快適でした。
このすれ違った方のバスは「ベンツ」と呼ばれるエコノミーバス。冷房なしってのはつらいよな、なんて思ってみていたのですが、後日乗る羽目に。。。 |
羊の大群。シーラーズの周りは少数民族もいるようで、こんなカラフルな衣装をまとった女性達もよく見ました。 |
中はこんな感じ。日本の長距離バスと大して違いはないですね。ほどなく、飲み物と簡単なスナックのボックスが振る舞われました。 |
ザグロス山脈を越える景色の良い山道を過ぎたあと、エスファハーンへの道から北東に分岐。今度は砂漠を突っ切っていきます。 |
砂漠での夕暮れはなかなかロマンチック。 |
分かっていたことですが途中で日が暮れます。日が暮れたあとの村落の明かりなんかも幻想的できれいでした。さて、途中でバスが止まりどうやら休憩のようです。
休憩中のバス。砂漠の真ん中だからか、設備は最低限でした。 トイレ休憩のわりには長いなあ。ご飯休憩か?と思ったら実は、お祈り休憩でした。トイレではみんな靴を脱いで足を洗ったりしていて、気持ちよさそうだから僕もやろうかなあ、なんて思いながら見ていたのですが、これはお祈りのためのイスラムの慣習だったんですね、納得。 マイク曰く、女子トイレは女子トイレで仲睦まじい楽しい団らんが繰り広げられていたそうです。マイクもサッパリ分からないペルシャ語でみんなに親しげに話しかけられたとか。 |
これが我々の「スーパーボルボ」バスです。 |
売店はこんな感じ。最新鋭のバスとなんだかギャップがあるなあ。 |
しかも、量り売りの牛乳に分銅を使ってるぞ。 |
夜も大分遅くなり、夜9時を過ぎて、Yazdに到着。バスターミナルでないところに降ろされたので困りましたが、タクシーを拾いなんとかわかるところへ。地図とにらめっこしたり、親切なおじさんに道を教えてもらったりしながら、旧市街の中の目指すところにたどり着きます(タクシーは迷路のような旧市街には入れません)。
さて、今日の最後のハイライトはYazdのホテルです。このMalek-O-Tojjar(マレク・オ・トッジャール)というホテルは、昔の隊商宿を改装したもので旧市街のバーザールの真ん中にあり、ロンリープラネットではYazd観光のハイライトの1つとして取り上げられているくらいの名物宿です。
Yazdは小さな地方都市なので夜もはやい。日中は活気のあるバーザールですがこの時間は寝静まっています。暗くひっそりとした迷路のようなアーケードを歩いていきます。 あったあった、あれだ。Traditional Hotelと書いてある。 |
200年の歴史あるホテルだそうです。 バーザールでこの時間に明かりを灯しているのはここだけ。 |
入口をくぐると、そこからまたさらに細く暗い通路が続いています。遠くからかすかに賑やかな音楽が聞こえてきます。疲れた旅人には最高の演出。 |
照明もとても良い感じ。 |
一気に視界が開け、そこにはゴージャスな中庭が。中庭を取り囲んで客室の窓があるという作りです。 |
真上はきれいな夜空。赤茶けた砂漠都市のバーザールの真ん中にこんな空間が広がっているとは。 |
部屋を決めて、さっそくご飯にしました。普段は食べやすいテーブル席にすることが多いですが、この雰囲気であれば間違いなく座敷でしょう。 |
夜10時をまわっていたので軽めに。でもこのシチューは絶品でした。ここは食事も美味しい。かなりお勧めです。別のところに宿を取っても、ここに食事やお茶に来るというのも良いでしょう。 |
参考情報:
シーラーズのホテル: Sasan Hotel。地球の歩き方に載っていたリーズナブルなホテル。きれいでスタッフもとても親切でグッド。ネットのできるコンピューターあり。
ヤズドのホテル: Malek-O-Tojjar Traditional Hotel。ロンリープラネットで特選。地球の歩き方にも。値段はイランの中で言えば高い方とはいえたかがしれているし(2人(ツイン)で一泊$20くらいだったはず)、この素晴らしい雰囲気を考えるとイチオシです。ただ、設備や快適さの点では過度な期待は禁物。観光シーズンには予約した方が良いと思われます。
今日のトピック: イラン旅行って安全?−交通と痴漢
イランなんて行けるのか、なんでイランなのか、と言う質問の次に多いのが「イランなんて安全に旅行できるの?」というものですね。イラン人に悪いイメージがあったり、核問題や「悪の枢軸」という喧伝もありますし、「イランもイラクも似たようなもの」という程度の理解でしかなかったりもするんでしょう。しかし、一般のイメージに反して、すごく治安の良い国である、というのが答えです。まず、テロとか暴動とかは無いです。確かにイラクは隣国で国境付近はやばいでしょうが、内情は安定しています。それから強盗殺人とかの凶悪犯罪もとても少ないようです。こういう締め付けの厳しい政権が治めている国って治安がとても良いことってあるんですよね。まあ、貧しいが故のシンプルな犯罪なんかはあるでしょうから旅行者として注意は必要だとは思いますが、これはどこの国でもそうですよね。ちなみに、僕の旅行歴でみると、中国、ベトナム、ボリビアでは暴動の話を身近に聞き、パリでは盗難に会い、グルジア、パラグアイでは乞食にからまれかけたりしたことがありますが、イランではそういうのはまったく無縁でした。
しかし、そんなイランで注意すべきことが2つあります。それは、痴漢と交通事故。これはガイドブックにも書いてありましたし、イラン人からも注意されました。まず、「痴漢」ですが、これは日本やイタリアと並んで大きな問題のようです。なぜ痴漢が多い国と全然無い国とに分かれるのかは社会学的に興味深い点ですが(とか呑気に書いていると女性諸氏から非難されそうですが)、イランはアラブほどではないにせよ性的に保守的な社会であり、他方、満員電車や満員バスの都市文化もある、ってのが大きいのかな。そして、これはイランの特徴ですが、外国人旅行者の女性が良いターゲットになるようです。社会学的には興味深い点ですが、女性旅行者は要注意で、事実、僕の連れのマイクもヤズドで単独行動中、痴漢ではないですがちょっとしたハラスメントで騒動になりました(後述)。慣れていない女性の方がイランを旅行する際には単独行動は避けた方がイヤな思いをせずに済みそうです。
さて、もう一つの要注意事項は交通です。とはいえ、これはイラン固有の話ではなく、このくらいの発展途上国ではどこでも同じ話でしょう。とにかく交通量が多く、バイクは多いし、秩序が無く、歩行者より車優先です。まあ、イランでは大手を振って信号無視、という車はそれほどいませんが、それでも道路を渡るのは命がけです。大量の車が行き交う道路で横断歩道がないところを渡らざるを得ないことも多く、これまた大変。そういうところでは、タイミングの踏ん切りがつかず延々と待ち続け、最後に清水の舞台から飛び降りるような心持ちでドキドキしながら道路を渡ったりしました。首尾良くわたり終えた時の充実感はなかなかのものですね(^^;。
せっかくなので、僕がこれまでのバックパック旅行で培ってきた経験を元にした奥義を本邦初公開(^^。イラン以外にも使えますよ!
一、可能な限り、イラン人と一緒に横断するべし。多ければ多いほどよい。みんなで渡れば恐くない!(^^;
一、車が来る矢面に立たず常に集団の内側に。イラン人をたてにして歩くべし。(^^;;
一、急に走ったり止まったりすると危ないので、一定のスピードを保って歩くべし。その方が車もこちらの動きを把握しやすい。(中国で、車が大量に走る道路の信号のないところをおばあちゃんが完璧なマイペースで一歩も止まらずゆっくり歩いて横断したのを見て感動したことがある)
一、車の存在を横目で確かめつつも、露骨に目を合わせずマイペースで。目が合うと向こうも強気に出てきますが、気がついていなさそうな歩行者に追突してくるようなことはしません。車と目を合わしオロオロするのはとても危ないです。
もちろん、影からのオートバイに気をつけたり、四方八方に気を配ったりという基本はちゃんとおさえるべし。グッドラック!
夕暮れラッシュ時のテヘラン中心部。車とバイクが無秩序に殺到って感じです。 |