6月20日 火曜日

イラン旅行 第1日 テヘラーン

入国担当官の笑顔を見てほっとしながら、イランの第一歩を踏み出します。

空港はまだ新しく、本格稼働には至っていないようで、きれいだががらんとした印象。あちこちにみかける巨大なホメイニ氏の肖像・写真が印象的。とりあえず今後の予定を確定させるべくイラン航空のオフィスを探して情報収集したり、それから両替をしたり、電話をかけたり、ダウンタウンまでの行き方を聞いたりしましたが、みんな愛想が良くとても親切で、緊張感漂わせている自分たちがバカみたい。ただ、イランエアのオフィスの気さくなおじちゃんは、英語がイマイチで苦労。すごく一生懸命愛想良く話してくれるのですがわかんないんだよな。空港のインフォメーションでは、チャドルをまとった女性が応対していて、なんだかどう接して良いか迷ってしまったが、ごく普通にプロフェッショナルに対応してくれました。どうやら、そこまで異次元の国ではないんだな。

両替をしたときは驚きました。二人の一週間分の路銀、とりあえず少なめで良いよね、ということで約8万円を両替。本当は一度に大金を両替というのは良くないのだが、時間もないし面倒なのでここはまとめていきます。イランの通貨はリアル。で、窓口で言われた額はなんと640万リアル。なんだか桁がよく分からない。分厚い札束をぼんぼんぼんと渡され気分は大富豪?!マイクのハンドバックが一気にふくらむ。というかは入りきらなかったりする。

見よ、この札束。これでもほんの一部です。札束でパシパシ叩きあって遊んだりしちゃいました。
お札にはホメイニ氏が。

マイクの友人のフランス人のそのまた友人、ムスタファ君と電話で連絡が取れて、とりあえず市内へ向かうことになりタクシー乗り場を探す。ここからタクシーに乗るまでも代わる代わるいろんなおじさんやお兄さんが出現し、片言の英語ですごくにこやかにあれこれ話しかけてきてくれました。普通、途上国の空港のタクシー乗り場なんてぼられないように警戒し、すべての人間を疑ってかかるものなのだが、ここではみんな呑気で陽気でどうも調子が狂う。からかい半分、物珍しさ半分の人もいるが、好意でよく接してくれる感じ。結局タクシーには何の問題もなく簡単に乗れました。

タクシーから見える新空港。きれいだが閑散としている。

新空港から市内までは結構遠く、タクシーは延々と飛ばしていく。茶色っぽい乾いた郊外の田園風景が流れていく。市内にはいると、ぼろい車と新しい輸入車が入り交じって道路をにぎわせている。頭から黒ずくめの女性達がバスに大勢乗っていたりするのを見ると、すごく違う国に来てしまったな、と実感。

市内に近づくと一気に混雑してきます。北にそびえるのはアルボルズ山脈の山々で4000m級だとか。その麓にあるのが首都テヘラーン。夏の晴れた日で外は余裕で30度を上回っていそうだけれど、山の上にはうっすらと残雪が。
人口650万以上という大都会です。高層建築も想像以上に多い。ここだけ見ればかなりの文明国。

とりあえず空港でもらった7日間ビザの延長を目指し、外務省のオフィスとやらへ向かったのだが場所がよく分からずあちこち行ったあげく、結局、延長不可能の一点張りで押し切られてしまい、ビザの延長は断念。いきなり時間を損する。その後、ムスタファ君と無事に待ち合わせ成功。ムスタファ君はテヘラン在住のイラン人。背の高いフランス文学専攻の大学院生です。マイクの友人にテヘラン在住の友人がいる、ということで今回の旅行のために紹介してもらったのです。自己紹介をすませ、さあいろいろイランについて興味深い話が聞けると思いきや、がーん、彼は英語は大昔にちょっと勉強しただけでほとんど忘れちゃってて全然しゃべれないんだとか。というわけで、マイクが彼とフランス語でやりとりして僕との間に立つという面倒くさいことに。

信号が変わるまであと何秒か、表示されているのですが、すべてアラビア数字。
テヘラーンでは標識が充実していて、道の名前もアルファベット表記付きで丁寧に書いてありました。地方都市ではこのアルファベット表記がなくなってしまい、そうなると地図を読むのが一苦労です。

翌日のシーラーズ行きの飛行機の切符を買い、それから適当にホテルを決め荷物を置いたあと、ムスタファ君にテヘラーンを案内してもらうことに。まずは歩きでテヘラン大学界隈を散策。

中心部の交差点。年代物の車も沢山走っています。
大通りの横断歩道は信号がないことも多く、渡るのが結構難しかったりします。

車道の横の側溝には水が流れていて、木も沢山植えられていて暑さのわりにはとても気持ちの良い街です。
おしゃれなスカーフをしている人が多いです。新しい車もあれば、外資系メーカーの宣伝も。国際情勢的には異端児のイメージの強いイランですが、資本主義国際経済の中でちゃんと活気のある経済発展を続けているんだなあ、と感心。もちろん、10年20年遅れている感はありますが、停滞しているという感じのしない活気がありました。
街角で新聞が売られています。とても種類豊富ですがアルファベットのものは滅多にありません。
街頭の巨大ポスター。政治だか宗教だかあるいはその両方かはわかりません。でもこういうのを見ると、ああ、僕らのイメージしていたイランだ、とちょっと安心。
考古学博物館に連れてきてもらいました。時間的にはほんの少しだけでしたが、ペルシャの歴史の長さを実感。

ちなみにいろんな面白い展示がありましたが、これはというすごいモノは大抵レプリカで、実物はパリやロンドンにあったりします。ムスタファ君がぶつぶつ言ってました。

その後、バスに乗ってバーザールに行くことに。日本語のバザーとかバザールとかはペルシャ語由来です。といっても、日曜市でもなければ、百貨店の大売り出しでもありません。市場というか商店街というか。

バスの中の陽気な兄ちゃん達。ついつい構えてしまうのですが、絡んでくるわけでも酔っぱらいでも無く、純粋に人なつっこいだけのようです。写真撮ってくれと言うので取ってあげたら大喜びしていました。なんかこういう人達が多いんです。
街角でジューススタンドが大にぎわい。フルーツの種類が豊富で目移りします。僕らも疲れたところで一杯やりました。ブラックベリーのジュースが忘れられない。
バーザールの入口。みんなに荷物取られないように注意しろよ、といわれました。アメ横のノリですな!?

絨毯売りは鬱陶しかったな。ただ、他の途上国のこういうところに較べるとみんな押しが弱い。親しげに話しかけてきて、一応セールスもしてみるのですが、買わないなら買わないでおしゃべりして去っていく、って感じ。道は分かるかい?とか言って。モロッコとは雲泥の差だ。ただ、それでも数が多いので終いには疲れてしまうんですけれどね。

時間が遅かったこともありかなり店は閉まっていました。後日、エスファハーンのもっとすごいバーザールを紹介します。
バーザールの外れにはちょっとした寺院があり観光名所にもなっていました。さっきまでの喧噪が嘘のように落ち着いた雰囲気。
ガイドブックにも載っていますが、観光客は少ないのか、玄関もなんだかくつろいだ雰囲気が漂っています。ただし、靴を預けて身なりを整えて入るのは決まり。
歴史としては100年そこら、とのことで特筆すべき観光名所というほどでもないはずなのですが、中のこの壮麗さはどうだ。驚きました。

イランの寺院では写真はもちろん外国人観光客が気楽にはいることも遠慮した方が良いところもあるようですが、ここは観光客も意識しているのか、全然かまわないとのこと。じっくり見学させてもらいました。
今まで見たことのない種類のきらびやかさです。アラビア文字も調和してます。
メッカはこっちだよ、と祈るべき方向を示しています。
敬虔に祈りを捧げている人々。ちなみに、小さな石を置いてそこに額を乗せて祈るというのがシーア派に独特の作法だそうです。

さて、ハデハデ寺院を後にして大通りに出るとそこは夕暮れ。帰宅ラッシュがすごいことになっています。

バスに乗るのも一苦労。

北の山の方に行くと見晴らしの良いスポットがあるから行ってみよう、というムスタファ君の発案。言われるままに喜んでついていく我々。タクシーで行くことにしましたが、この街中でタクシーをつかまえるという作業が一苦労。

超高速で街角に流れてくるタクシーに合図を送り、行きたい方向に行ってくれるか、値段はいくらかなどをコンマ一秒くらいの早さで交渉します。帰宅ラッシュ時のテヘランの街角にはタクシーをつかまえるひとがごった返していて、あきらかに我々の手には負えません。しかも、我々外国人を乗せるとなると少しふっかけてくるタクシーも多く、ムスタファ君もつかまえるのに一苦労でした。

山は街の北の郊外にあり、帰宅ラッシュの夕暮れ時にテヘラーンを縦断ということでかなり時間がかかりました。タクシーのうんちゃんは気の良さそうなおっちゃんでイランポップスを聴かせてくれたり、いろいろおしゃべりしたり。おしゃべりといっても、おっちゃん→ムスタファ→マイク→自分と間に2人も通訳が入るので大変だったけれど。ちょうどワールドカップだったのでサッカーの話なんかも盛り上がりました。イランで一番人気のあるスポーツはやはりサッカーのようですね。最近はイランのナショナルチームはイマイチパッとしないようですが、国中でワールドカップをみて盛り上がるようです。イランチーム以外ではやっぱりみんなブラジルが大好きみたいです。ムスタファ君はフランスのサッカーはつまらないけれどブラジルのサッカーは見ていて楽しいからみんな好きなんだよ、とか言ってました。

山の上まで来ると、といっても4000m級の山々からするとほんの一部分ですが、緑も多く気温もかなり過ごしやすく市内とは別世界。平日の夕暮れですが、大勢の人たちが夕涼みに来ていました。のんびりとした時間が流れていて今日の疲れを忘れさせます。見晴らしを楽しみながらしばし散策。イランという異空間に来てしまったという違和感が少しずつ融解していきます。

その後、晩ご飯に行くことになりムスタファ君が適当にレストランを見つけてくれました。イラン人でにぎわうちょっと良い感じのイラン料理のお店です。

今日の晩ご飯!かなりティピカルでコテコテなイラン料理。「イラン料理なんてシンプルに肉ばかりだ」と言われることがあって、実際そんなことはないよと思うわけですが(今後少しずつ紹介していきます)、今回はまさにそういうイラン料理。メインディッシュの焼いた肉に付け合わせでサラダ、サフランバターライス、ヨーグルト、ナーン(パンのようなもの)です。焼いたトマトっていうのもイランらしいです。スパイスで風味のついた肉にライムを搾って香草と食べると、かなり幸せです。

ちなみに、イランではこんな風に座敷に上がり絨毯の上に座って食事を囲む、ってのがスタンダードです。ちょっと食べにくいけれど、ピクニック気分でグッドです。
ムスタファ君。地球の歩き方に興味深そうに見入ってました。

ムスタファ君とはいろいろおしゃべりをしましたが、一番新鮮だったのが、彼が想像以上にリベラルだったってことです。「僕は今時神なんか信じないよ。そりゃそんなこと大声では言えないよ。でもそう思っているやつだって沢山いるぜ。」みたいなことを率直に話してくれます。それから「お酒はそりゃ表だってやりゃしょっ引かれるけれど、みんな陰でこっそり造ったり売ったり飲んだりしているよ。」なんてことも言っていました。フィアンセがいて今は離れているけれど、同棲してたし、今度旅行に行く予定だとか。でもそんなムスタファ君のお父さんは敬虔なイスラムの聖職者で、親子であんまりそりが合わないとか。彼みたいな若者がどのくらい一般的なのかは分かりません。前もって想像していたイラン人のイメージからするとかなり意外でしたが、でもそれがストンと腑に落ちて親近感をおぼえたりもします。ムスタファ君も僕らのことや、日本での男女の付き合いのことなんかに興味津々でした。

晩ご飯代も出してくれるというのを、何とか説得して我々で御馳走させてもらいました。ここまで半日ガイドしてくれた上、ジュース代、入館料、バス代、タクシー代、こっちが出すと言っても何も言わずにすべて出してくれちゃうのです。

腹ごなしにまた少々散歩。屋台でブラックベリーなどを売ってました。あの白っぽいのはなんだろう。
山から見たテヘラーン市内の夜景です。この晩は少し霞みがかってしまいあまり遠くまで見えませんでしたが、それでも充分美しかったです。

タクシーで山に登っていく時も気になったのですが、テヘラーンの北部、山の麓のエリアには信じられないほどの高級住宅街が広がっていました。東京都心の高級住宅街のような見るからに高級でハイソな中層マンションがいくつもあったりプール付き豪邸があったり。ただ金があるというだけでなくデザインもすごくモダンでスタイリッシュ。テヘラーン市全般の印象が先進国に較べれば20年くらい遅れているような感じだったので格差が際だって印象的でした。もちろん、どこの国にもある話ですけれどね。

この後、タクシーでホテルへ戻り、ムスタファ君に別れを告げ一日が終了です。

日本人バックパッカーはテヘラーンは見るものがない、つまらないといって通り過ぎていってしまうことが多いそうです。確かに観光名所という点で言えば、僕らがこれから向かう諸都市に較べればはるかに見劣りしそうです。でも、現代イランという国が一番身近に活き活きと見えてくる都市、それがテヘラーンだというのは間違いなさそうです。通り過ぎてしまうのはもったいないと思いました。

初日を振り返れば、いきなり新鮮な驚きと発見の一日になったなという感じです。確かに女性は1人残らずスカーフをまとっていましたし、あちこちにターバンを巻いたホメイニ氏の肖像もありました。しかし、賑やかなテヘラーンの大都会、やたらリベラルなムスタファ君。勝手に抱いていたイランに対するイメージのうち、確認されたのはごく一部だけ、残りの多くがガラガラと崩れていきました。でもそれは距離感のある無機質なイメージが、活き活きとした同じ時代を生きるイメージに再構築されていくプロセスです。これは楽しい旅行になりそうだ、良い気分で眠りにつくことができました。

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今日のトピック: 旅の概要

なぜイランなのか?これも、「安全なの?」という質問の次に良く聞かれる質問です。僕の場合、イランって元々、パラパラと世界地図を眺めているときに行ってみたいなあと思う国の1つでした。というのも、この国ほど様々な強いイメージがある一方、今、どんな社会があってどんな人々がいるのか、皆目見当がつかないような国ってそんなにないんじゃないかと思いまして。皆さんは「イラン」っていうとどんなイメージでしょう?昨今の核問題、ブッシュの「悪の枢軸」、「ホロコーストは無かった」などと発言してしまう大統領、シーア派イスラム教徒、、、。一昔前は上野にテレホンカードを売っているイラン人が大勢いましたね(今でもいるのかな?)。他方で、ペルシャという別名もあります。こっちは大分違う印象じゃないですか?絨毯?ネコ?世界史ではこの地域は紀元前から重要な役割を担っています。西欧、イスラムはもちろん、日本の弥生時代よりはるか以前から波瀾万丈の歴史がある。世界史年表をめくると、大昔にそんなこと勉強したなあみたいな単語が(^^;)大量にでてきます。適当に抜粋すると、アケメネス朝、ダレイオス1世、ペルセポリス、ペルシア戦争、ササーン朝、ウマイヤ朝、アッバース朝、サファヴィー朝、パフラヴィー朝、ときて、イラン革命、ホメイニ氏。でもって、イラン・イラク戦争があって、今のアフマディネジャド政権に至ると。これだけすごい国なのに、今日どんな人が何食ってどういう風に生きているのかサッパリ分からない国、それがイランでした。そういう目線の報道って全然耳に入ってこないし、旅行したよ、って人も周りにいない。どっちかって言うとネガティブなイメージばかりが国際報道の中でキャンペーンされている感じ。こりゃ自分の目で実際に見たらさぞ面白いんだろうな、と。で、調べてみるとガイドブックもあるし、日本人には意外と行きやすそう。そこへここのところの核問題でアメリカが近いうちに空爆の可能性、だなんて言っている(*)。自分もいつどれだけ休みが取れるか先のことは分からないし。というわけで今回の旅行となったわけです。

(*)最近、「イラン良いよ、お勧めだよ」というと「核問題で危ないんじゃない」と言われることがあるのですが、イランの核問題でアメリカが空爆の可能性に言及するのはここ数年、日常茶飯事になっていて、06年の6月と07年の6月で安全度はそんなに違わないような気がします。隣国イラクの情勢がひどいのはもうずっとですし。外務省の海外渡航安全情報HPを見ても問題なさそうだし、短期旅行なら大丈夫でしょう、という判断で出かけちゃいました。中長期ではいつまた訪問できなくなるか分からないけれど、ちゃんとニュースを見て最新情報をチェックするように心がけておけば短期では問題なさそうに思えます。

さて、大ざっぱな旅程。2006年6月19日土曜日の夜の便でパリを発ち翌朝テヘラーンに到着。全体の旅程としては2週間あったのですが、マイクのビザが1週間分しか取れないってことで、大急ぎでイランをまわれるだけまわることに。最後は、6/26月曜日に国際列車に乗りテヘランを発ち、27日に国境を越えトルコへ行きイラン終了。28日午後にトルコ中部の街、Malatyaで下車。その後、カッパドキア、イスタンブールとトルコ旅行をして帰国。トルコも初めてで、とても良かったけれど、でもイランに思い入れて出かけたのでもう少しイランに長くいたかったです。トルコについてはまた旅行記の最後で触れます。

先に書いたとおり、イランのビザはそんなに難しくありません。一番簡単なのは空港でぽんとくれる7日間のビザ。なんだけど、ちゃんとイラン旅行と考えると、7日間は短いです。10日くらいは欲しい。いろいろ検討したのですが、このビザは延長不可で融通が利かない感じ。ま、ちゃんと旅行するのなら入国前にちゃんとビザを取る方が良いでしょう。それも大して難しくないので。ただ他方で、社会人で仕事があるとかってことなら、この空港で簡単にもらえる7日間ビザも存在意義は大きいですよね。見所を絞れば7日ですごく充実した旅行にできるでしょう。

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